※上記は映像番組を書籍化したものです。
ヴィクトリア朝の薬局を再現・営業も行う
『Victorian Pharmacy』(ヴィクトリアン・ファーマシー)はヴィクトリア朝の薬局を再現し、当時の医薬品製造をしたり、医療技術を患者に施したりするドキュメンタリー番組です。『Victorian Farm』でお馴染みのRuth Goodmanを軸に、ロンドン大学で薬剤学を教えるNick Barber教授、博士課程学生で楽材の歴史を学ぶTom Qucikの3名が薬局を開設し、当時の技術を披露します。
舞台は世界遺産となった鉄橋・アイアンブリッジにあるBlists Hill、ヴィクトリア朝の街並みを保存している場所です。この一画で番組の薬局が1837年に開業する、という設定です。アイアンブリッジ公式サイトの日本語案内のPDFを見ると、この街には薬局、食料品店、お菓子屋さん、パブ、鋳物工場、印刷業者、蝋燭工場、公立学校とあるようです。
薬局はこの番組のためというより、元々、ある施設を借りているようですね。薬品の色彩がやばいです。
ベイツ・アンド・ハント (薬局)
薬局は、小さな工業都市においてさまざまな役割を果たしていました。店の奥で薬を処方
し、正面カウンターでは薬草、既製の医薬品や化粧用具などを販売していました。また医
者にかかる余裕のない人たちは薬局でアドバイスを求めました。その他にも、歯医者や眼
医者としての役割も果たしており、抜歯まで行う場合もありました。薬局の店舗を再現し、地元の薬局の名前を付けました。店内の小物類はボーンマスから取
り寄せ、瓶やその他の商品はさまざまな店から集めています。
名前は”The Barber and Goodman Pharmacy”とあらため、吹奏楽団を招いてオープニングセレモニーを行って番組は始まります。19世紀の医療知識に基づく薬剤作成は、現代的な観点で「毒」となるものも含まれるので、今回の番組では安全を確認できているものを店頭に並べていくという方式です。
薬剤師の歴史は、村岡健次先生の『近代イギリスの社会と文化』に詳しいです。
患者来訪~薬作りと材料調達
最初の患者は35年の経験を持つ看護婦の方で、咳がひどいと。処方されるのはヴィクトリア朝でメジャーだったというChlorodyne、Collis Browne’s mixtureと呼ばれるものです。元々はコレラ用の薬だそうですが、クロロホルムや大麻が入っているなど、習慣性が強く、過剰服用は死に至るということで。Collis Browne’s mixtureは売られていますが、こうした要素を弱め、安全になっているとのこと。
さすがにナースの方だけあって、「え?」みたいな顔をして、「阿片は入っているの?」と確認します。現代の番組なのでそのままの再現ではないものの、もっと安全・安心そうな薬を探そうということで、当時の薬剤師向けのバイブル、『the Pharmacopoeia』を読みこみます。そこで選んだのがBalsam of Horehoundという薬です。
番組と同じかは分かりませんが、Google BooksにA new supplement to the pharmacopæias of London, Edinburgh, Dublin and Parisと、1837年版の辞典が掲載されていて、レシピも出ています。
Ford’s Balsam Op Horehound is a cough nostrum, of which opium is the basis, being composed of equal parts of horehound and liquorice root, infused in water, strained, and a double portion of spirit added to nine pints, to which liquor add 3vij of pure opium, §j of dried squills, 3vj of benzoin, 3ix of camphor, 5viij of anise-seed, Ibjf of honey; digest and strain.
A new supplement to the pharmacopæias of London, Edinburgh, Dublin and ParisP.162より引用
Horehound(ニガハッカ属/芳香性の草本)とliquorice(リコリス:カンゾウの根)を軸に、アルコール、阿片や安息香、樟脳やanise seed、はちみつなどで作るレシピです。現代での再現では阿片を用いないようで、必要なハーブを集めるのにハーブの専門家を呼び、Ruthと一緒に採集に行くと、パターンとしては『Victorian Farm』を踏襲しています。
クリーバー、プランテーンといったハーブを回収した後、ラボラトリーで薬に調合していくところは、英国貴族の屋敷でかつて行われたスティルルーム(蒸留室)での仕事に似ています。話が逸れますが、医療機関が十分に発展しておらず、また医師の数も少なく高額だった頃は、家庭で医療を行うことが期待され、その役割は「家の守り手」としての女主人が担いました。
中流階級の家政バイブル『ミセス・ビートンの家政読本』も医療について項目を割いていますし、女主人に代わって家政を担うハウスキーパーの仕事にも医療知識が求められました。薬が外部の商業施設や会社組織によって入手可能になっていくと次第に屋敷にあったスティルルームの役割が薄れ、スティルルームで働くスティルルームメイドの役目は「パンを焼く」「飲み物を作る」「貴重な陶器の皿を洗う」と、かつての医療的な要素は取り除かれていきますが、自家製の化粧品を作るといったところでは若干、かつての姿を留めているでしょう。
本当にいろいろ
この後、打ち身に塗る薬(ミミズをすり潰してワイン、オリーブオイルなどから)を作ったり、咳に利く「ハーブ入り蒸気を吸気する」「膏薬」(ヴィックス ヴェポラッブのような)、突っ込みどころ満載の金属性(アンチモン製))丸薬(everlasting pill)も出てきます。劇物なので吐いたり、下痢したりするのですが、everlasting(永遠に続く)の名前の通り、「リサイクル」するとのこと……
映画でおなじみの瀉血も行います。19世紀前半までの医療はギリシャ医学の延長にあり、人間の体は4つの体液(血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液)から成ると考えられました。そこで悪い血を外に追い出す「瀉血」が行われました。ヒルに血を吸いださせる(血の出口を作る)施術もそこに含まれましたし、瀉血用の刃が飛び出る恐ろしい器具も出てきました。
スパ的な代替医療も紹介され、Ruthが温泉水(冷たい)をかけられるいうものもありますが、思い起こすと、『トム・ソーヤの冒険』の冷水浴や、猫を狂乱せしめた『ペインキラー』(not Judas Priest)など、いろいろとあります。
ただ、次第にビーカーを用いて複雑に調合して「薬」に仕上げていく場面も増えていますし、その中で薬剤師が作ったというウースターソース(worcestershire source)の再現も行っていました。で、薬局の店頭で販売し始めました。Shropshire Sauceとして(笑)
最後に、個人的に面白いと思ったのが、冒頭で述べた「色」です。どぎつい感じがする色の液体が並んでいるのも理由があり、商店のウィンドウにこうした「液体」を展示しておくことは、自然には生成できない色を作る技術力があることを示し、それが「薬剤師」のお店の証明になったということです。このような「色のついた液体」(たとえば紫)作りは見習い徒弟の仕事だったと。
終わりに
正確に言えば、「ヴィクトリア朝の医療の再現」ではなく、「ヴィクトリア朝の医療の発展の歴史を、薬剤師の視点で見る」というところでしょうか。次回以降は年代が徐々に進んでいき、その当時の医療水準の向上に伴い、新しい知識や技術が紹介されていきます。病原菌の話や電気治療の話、花火作り、カスタード作り、前述したペインキラー(アスピリンの登場)や、腸で作ったコンドーム、香水なども出てきます。
時代の変化による差異は、この年代を資料的に使いたい人には役立つかもしれません。服装や店頭に並ぶ商品やサービスの変化(歯科医業や、写真の現像も行う)、衛生観念の変化なども扱っているからです。そして私が希少だと思うのは、薬剤師の資格制度の話と、実技試験の実践です。これは見る価値があります。
今から見るとこの頃の医療や薬品で残っているもの、残っていないものがありますし、「え?」と思うようなものも含まれます。しかし、今から100年後から「現代」の水準を見ると、また不合理に思えるかもしれません。
ヴィクトリア朝は様々な商品が流通し、商業化が進んだ時代でした。「医療」もそのひとつであり、医薬品がかなり市場に流通した時代なのだと実感できました。