[映画/ドラマ/映像]THE 1900 HOUSE(06:洗い物は大変/衣装と洗濯:2話目)

※こちらは『THE 1900 HOUSE』の資料本です。


2話目『生活が始まる/レンジと衛生』感想の続きです。

1900年の衣装

Bowler家は当時の服装で暮らしています。現代の服装は極めて動きやすくデザインされていますが、女性がズボンを履くようになったのは20世紀になってから一般化したものです。それ以前の時代、例えば「ブルーマー」が女性の活動の広がりとされたれたように、女性は動きにくい服装に縛られていました。

現代人がそうした「不自由な服装」を着用することは、「動きにくいコスプレをしながら生活」するようなもので、和服を着慣れていない現代人が、ずっとそのままで過ごすような感覚に似ているでしょう。
出演者である母Joyceと娘3人は、毎日コルセットを着用しています。それほどぎゅうぎゅうに絞っているようではないのですが、途中にあった健康診断でコルセットを着けたままと、着けていない状態でジョイスの肺活量は異なりました。物理的な拘束はストレスとなったでしょう。

第二の拘束が、ペチコートです。スカートのふくらみ、優雅なラインは女性の美として、各国でもてはやされました。画家ヴィンターハルターの描く皇紀エリザベートの姿、それに『若草物語』の登場人物、ハウス名作劇場で描かれた、そして最近では『ハウルの動く城』に出た登場人物のほとんどは膨らんだスカートをはいています。19世紀的、近代ヨーロッパ的イメージを象徴するデザインのひとつです。

『図説ヴィクトリア朝百科事典』によると、スカートを膨らませることには「ウェストを細く見せる」(スカートが広がっているので、相対的に細く見える)効果がありました。当初はスカートの下に何枚も薄いペチコートを重ねて膨らみを演出しましたが、これは重くて動きにくいなど負担となったので、クリノリンと呼ばれる道具が登場します。鉄の輪や針金を用いてスカートの輪郭を保てたので、女性はペチコートの重さから解放された、といわれています。

クリノリンの広がり幅はペチコートの比ではなく、巨大なものは直径2メートルに及びました。『図説ヴィクトリア朝百科事典』では、クリノリンが普及したことで、女性が一時的にコルセットから解放されたとも記してあります。クリノリンが大きい輪を描けば描くほど、女性の腰は細く見え、コルセットを着用する必要が無くなりました。

いいこと尽くめに思えるクリノリンも、「円が大きく、スカートを鉄などで固定しているので動きが制限される」「気づかないところで暖炉の火がついたり、機械に巻き込まれる」ことなどから、流行が下火となりました。それに私見ですが、足元が解放されているので、冷えやすかったのではないでしょうか。

Bowler家は前者のペチコートを着て、このドキュメンタリーに出ています。重い衣服を着ている、その上で家事をするのはどれだけ大変だったことでしょうか。当時の衣類の重さについて、こんな解説もあります。

1880年代に服装改革運動が起こった時、主催者たちは下着の重さを3.2キロ以下にするべきと主張していたほどだから、いかにそれまでの下着が重いものだったかがわかるだろう。

『下着の誕生~ヴィクトリア朝社会史』P.21より引用
著者:戸矢理衣奈/発行:講談社選書メチエ

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軽くても3.2キロ以下、では重い現実の下着の重さは、どれぐらいあったのか。両足に2リットルのペットボトルをつけて暮らすようなイメージです。

衣装を洗濯する大変さ

洗濯機が無い時代、洗濯は大変な重労働でした。細かい話は割愛しますが、メイドを雇えない、外部の手を借りられない人々は、週に1度「洗濯日」を設けて、一日中、洗濯に関わる羽目になりました。

手順としては以下のとおりになります。

1:あらかじめ衣類を浸しておく。
脂肪などの汚れは洗濯板の上で、たわしでこする。

2:沸騰したお湯に衣類を入れる。
3:入れた衣類をかきまぜる。
4:衣類を取り出し、水を絞る。
5:干す。
6:アイロンをかける。

洗濯の大変さを「洗う量×手順の多さ」とするならば、「洗う量」は「着用する衣類の種類」「人数」で増大します。レースがついていたり、ペチコートを含む大量の衣服を着用しているので、当然のように洗うものは増えます。手順も上述したように多いですが、何が大変かと言えば、「衣類の面積の大きさ」ではないでしょうか? シンプルなデザインの服は軽いですが、ヴィクトリア朝の衣装は重い上に、洗う時に水を吸うので大変な作業となりました。

かき混ぜるのも大変。
持ち上げるのも大変。
フリルがあると、アイロンをかける面積が増える。

強力な洗剤・漂白剤も無いので、汚れはひとつずつ丁寧に落とさなければなりません。さらに、綿製品が普及しだすと、その繊維の特性上、「アイロンを掛けなければならない」必要が増えました。

また、National Trust管轄の屋敷 Shugborough で家事を体験した時に描かれたように、熱湯につけて消毒した衣類を取り出す作業は、危険でした。熱湯を吸って重くなった衣類を釜から引き上げる作業には火傷の危険が伴ったからです。さらに重要な点はこの洗濯を、動きにくく重たい服装でしていたことです。

洗濯自体は1日で済みますが、前日から衣類を浸すなどの準備をして、翌日に取り込んでアイロンを掛けることになると、丸3日程度が洗濯に費やされます。臨時の洗濯の手伝いをする女性(この職業自体はかなり古くから存在)や、商業のクリーニング屋などもいましたが、当時のクリーニング店についていえば、「他の人の衣類と混ざる(衛生への不安)」「衣装を間違える・盗まれる」、「衣類の特性に応じた洗い方をせず傷める」こともあり、お金のある人々はスキルが高いランドリーメイドに委ねました。

もうひとつのメイドを雇わなければならなかった事情、「家の掃除」についてはまた次回に記します。日本よりもはるかに、イギリスの家庭はホコリが溜まりやすく、汚れやすいものでした。

余談:至高のランドリーメイド/チャーリー

ドキュメンタリーとまったく関係ない余談ですが、イギリスの文豪ディケンズの作品に『荒涼館』という作品があります。この中に、臨時で洗濯の手伝いをしていたメイドの女の子チャーリー(シャーロット)が出てきます。

親を亡くした彼女は幼い弟と妹の為に洗濯の手伝いをして、次に意地悪な家庭に住み込みのメイドとして勤め、その後で主人公のひとりであるエスタ(孤児→ハウスキーパーになった美少女)の下で、ハウスメイドとして働き始めます。

そのとき、部屋の中へ、かっこうは子供っぽいのに、顔はいかにも賢そうで、年よりふけて見える―それにまたきれいな顔でした―たいそうちいさな少女が、大人のらしい大そう大きな婦人帽をかぶり、大人のらしいエプロンで、むきだしの両腕をふきながら、はいって来ました。

手の指は洗濯をしたために白ちゃけてしわが寄り、腕からふきとった石鹸のあわはまだ湯気を立てていました。

こういったところさえなかったなら、まるで洗濯ごっこをしている子供がするどい観察力で実際の様子を見てとって、貧しい女労働者の真似をしているように見えたことでしょう。

『荒涼館』1巻P.417~418より引用
原作:チャールズ・ディケンズ
翻訳:青木雄造、小池滋
発行:ちくま文庫


このチャーリーは、私の中でのメイドさん順位第1位です。(2005年時点)


1話目『出演する家族を募集』
1話目『家族が実際に暮らす家を再現する』
2話目『生活が始まる/レンジと衛生』
2話目『食べ物/買い物と食事』
2話目『洗い物は大変/衣装と洗濯』
3話目『掃除も大変/ホコリでいっぱい』(2005/02/27)
3話目『メイドさんを雇う』(2005/02/28)
3話目『肌で感じる1900年(上)/髪を洗う』(2005/03/04)
3話目『肌で感じる1900年(下)/衣食住』(2005/03/04)
最終話『メイドさんと向き合う』(2005/03/13)
最終話『End Of An Era』(2005/03/17)

旅行記:2005年秋・『THE 1900 HOUSE』の街へ行ってみた

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関連番組

『MANOR HOUSE(マナーハウス) 英國発 貴族とメイドの90日』
『Treats From The Edwardian Country House』