『Cranford(クランフォード)』はエリザベス・ギャスケルの原作小説『女だけの町―クランフォード』をBBCがドラマ化したものです。初回公開時、約800万人が視聴したといわれています。ここ数年では最も人気のあるクラシックドラマのひとつです。
物語は淡々と進みます。英国北西部の小さな街Cranfordへの鉄道開通を巡り、地元に住む人々と新しい人々との交わり、また村に新しく赴任した医師を巡る物語と、街を舞台に幾つかの物語が並行して進みます。
豪華なキャストと多様な年齢層
主演は『クィーン・ヴィクトリア』(原題『Mrs Brown』)でヴィクトリア女王を演じ、またオスカー・ワイルドの名作『THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST』でも貴族の夫人を演じたジュディ・デンチ。彼女はマティ・ジェンキンスを演じます。その姉役デボラには、1970年代の伝説的使用人ドラマ『Upstairs Downstairs』のプロデューサーにして、『ゴスフォード・パーク』ではハウスキーパー役を演じたアイリーン・アトキンスです。どちらもDameという、立派すぎる共演です。
さらには『ゴスフォード・パーク』で殺害された貴族を演じたマイケル・ガンボン(『MANOR HOUSE』のナレーションも?)も登場です。今は新しいダンブルドア校長で有名かもしれませんが、農場主トーマスを演じ、マティとの過去の恋愛関係が示唆されます。
他に、マティの下に預けられるメインキャラクターの一人、マリー・スミス(Lisa Dillon)がいて、彼女はインタビューを読むと、「エリザベス・ギャスケル」その人っぽいとのことです。マティたちを第一世代とすれば彼女たちは第二世代で、他に医師フランク・ハリソンや牧師の娘ソフィ・ハットンといった世代が近しいグループでの恋愛事情が描かれます。
もうひとつの軸は、領地を所有するLady Ludlowという貴族の女性と、彼女の領地を管理するランド・スチュワード(ランド・エージェント)、ミスター・カーターとの対立です。彼女の屋敷は『THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST』でも登場した、West Wycombeでした。この屋敷、美しいです。メイドと面接する際の屋敷の中は、倫敦近郊Syon Parkのホールを使っています。
ベテラン俳優を大切にしている作品
『Cranford』的作品は、きっと日本では映像化されにくい作品です。その辺が日英の相違点かもしれませんが、主役やメイン人物が「50歳以上」ぐらいのキャラクターで固められています。
日本では若い芸能人を起用しますし、ドラマのほとんどは若者の恋愛無しには商業化されていないと思います。全年齢対象のドラマって、あんまりない? 日本のドラマをそんなに見ていないので、思い違いもあるかと思いますが、「国民的な人気を得るドラマ」において、ベテラン女優たちが枢軸を務める作品は、知りません。
しかし、『Cranford』は見事なまでにおばぁちゃんが主役張ってます。ベテランの女優たちがきちんとリスペクトされている、若い俳優たちは彼女たちに接することで経験を重ねていくような構図がしっかりしています。
何よりも、ヒロインを演じる女優たちも王立の学校で演技を学んだ子がいたり、舞台出身の人もいたり、向こうと日本ではキャリアの描かれ方も違うのかなと思いました。日本でのそういうポジションは、歌舞伎役者か宝塚、なんでしょうかね?
何が言いたいかと言えば、「登場する役者の感情を損ねるようなキャスティングではないし、むしろ彼らの価値を高めてくれる、彼らにふさわしい舞台」を用意して、「ベテランたちのキャリアにふさわしい」重厚なドラマに仕上がっている、ということです。
恋愛だけではなく、移り行く社会を描いた群像劇
ギャスケルの作品は登場人物が幅広く描かれているようですね。
『Cranford』と言う街を縦軸、登場人物を横軸にすることで、単なる「一本道」「恋愛」ではなく、「変化するCranfordという街の社会」までも描こうとしています。キャラクターの年代も幅広く、大人から子供まで、誰もが見ることが出来ます。
その点では、非常にスケールが大きいのです。
同じ女性作家ではありますが、ジェーン・オースティンが基本的には「恋愛メイン」、メインの主人公が決まりすぎている、描かれる世界が非常に限定的なのに対して、ギャスケルは自身が社会的な活動を行っていたとのことで、視点が「個人」「社交の世界」「庶民の世界」「社会情勢」「街の経済」にまで向いており、正直、なぜ日本でこれほどマイナーなのかが不思議な作家です。
ギャスケルは「経済」と「歴史」を理解していたと思います。
たとえば、第一話において「Ladyが使用人を採用する面接のシーン」がありました。応募してきたCooper(桶職人)の娘は、「父が読み書きを教えてくれた」と誇らしげに語りますが、ここでLady Ludlowは「読み書きなんて必要ない」と、採用を断ります。
民衆が自由を得たフランス革命で従弟を失った?Ladyは民衆が自由な力を持つことを恐れて、「私は学校にも投資しているし、使用人に必要なのは祈りと仕えることだけ」と言い切ります。その一方で、彼女は「私は使用人たちの未来に永遠の責務がある」というような発言もしており、必ずしも専制的ではないのです。
こういうふうに主人と使用人の関係を描いた過去のイギリス作家を、久我は知りません。さらに、その彼女が信頼する領地を仕切るLand Agent(Land Steward)のMr CarterはLadyと異なる考え方をしており、「教育によって、人は変われる」と採用されなかったメイドに同情的であったり、密漁をしていた少年を保護して自分の下で育てようとします。
Ladyの傍に、こういう価値観が異なる人物を配置しているだけで、「この先、どうなるのだろう?」と物語への期待は高まります。最初は人物とエピソードが多すぎて、あまり理解できませんでしたが、BBCのサイトで公開されている役者による、演じるキャラクターのインタビュー記事を読むと、理解が深まります。
新旧の対立軸
会話の端々に「若い世代と古い世代」の価値観の対立(対立と言うほど深刻ではないですが、齟齬やぶつかり)も盛り込まれていて、変わり行く時代を描こうとしているように思えます。
エピソード的に恋愛が少し前面に出てきますが、「若い男女」の恋だけではなく、「結婚できなかった女性」(30後半~40前後?)の恋も扱いつつ、なんとこの回ではジュディ・デンチ様演じるMatildaが昔の恋人?Mr Holbrook(これがマイケル・ガンボン)に出会う、と言う展開へ……
すごすぎです。
村の商店での買い物シーンとか、医師のステータスの高さとか、農村の風景とか、ガーデン・パーティの様子とか、今までのドラマと少し趣が違いますね。何よりも「風景の質」「生活の描き方」のレベルが半端ではないです。
「描かれた場所」だけで言えば、本当に、盛りだくさんです。
家族の為に盗みを働く少年と、Land Stweradの交流も本格化してきます。少年の父は「字を読むこと」を軽蔑し、文字を読んだ少年に厳しく当たります。Land Stweradの主人のLadyは「使用人は文字を読むべきではない」と言い、貧しき少年の父も「字を読むな」と言う。その間にいるLand Stweradと少年の交流がどうなるのか、先が楽しみです。
「使用人を大勢雇うような大金持ち」はそんなに出てきません。村の人たちは1~2人ぐらい雇える感じなのでしょうかね。自分で手や足を動かしている人が多く、その点ではまだ「スノッブな都会」から離れて、きちんと生活している人が多いようです。
とにかく素朴です。
1842年のこのドラマでは、メイドさんはあんまり目立ちませんね、と言うのを書いていたら後半、急展開。物語が早いですね、本当に。DVDのパッケージで、なぜメインのアイリーン・アトキンスが小さく、目立たないジュディ・デンチが大きく登場しているのか?
関連する日記/サイト
BBC放送の最新・人気「クラシック・ドラマ」のDVD『Cranford』/久我の日記
日本ギャスケル協会
クランフォード/日本での放送はLaLaTV