AMAZONのパッケージ画像が泣けますが。
吸血鬼、フランケンシュタインと並んで「怪物」として著名な「狼男」を題材にした、ヴィクトリア朝を舞台にしたホラー映画です。物語の軸はいくつかありますが、ひとつは「いかに、『人間』が『狼男』に変身するか」のCGによる描写です。人間の姿が失われて狼男に変身する様子は非常に細部にまでこだわっています。
物語は、貴族の子弟で舞台俳優のLawrence Talbot(Benicio Del Toro)が、兄Benの行方不明を兄の婚約者Gwen Conliffe(Emily Blunt)から聞かされて故郷Blackmoorに戻る、というところから始まります。彼の実家の屋敷の外観はDevonshire公爵家のChatsworthを使っているという贅沢なロケーションです。
地元の村で調査を始めるとすぐに兄の死体が見つかりますが、遺体は無残な状態にありました。兄以外にも犠牲者が出ており、兄が持っていたペンダントを手がかりにジプシーの村を訪問したBenはそこで、事件を引き起こした狼男に遭遇します。ここが最初の見せ場というか、闇に包まれて炎と月明かりに照らされたジプシーの集団の住む一角に、狼男が圧倒的な「死」をもたらしていく様が、非常に暴力的です。
以下の感想は、私が普段この系統の映画を見ておらず、得意ではない前提でお読み下さい。
以下、ネタバレを含みます。
この村の襲撃でBenは狼男に噛まれて「狼男」に「罹患」するというのでしょうか、彼自身が狼男となりました。ここで視点が転換し、「領地に潜む、人を襲う謎の狼男の正体」という部分と、「狼男にさせられて破壊衝動に襲われるLawrenceの苦悩」という部分が加わってきます。
映画の方向性として主人公が「狩られる側」ではなく、「狼男」となった人間が変身することで自分を失う恐怖、自分の意識とは無関係に人を殺しまくることへの葛藤というところが強くなっているので、主人公は「狩る側」として描かれています。とはいえ、姿を見せない「最初の狼男」が依然として存在しており、その辺りが「いつ襲われるかわからない」意味での恐怖を煽っています。
とにかく、狼男が容赦なく圧倒的な力で人を殺しまくる話で、殺し方や死体の描写も凄惨で、最近見た映画では最大規模に犠牲者が出ていました。本当に、無関係な人が殺されまくるので、自分には映画の世界に入りにくいというのはありました。
とはいえ、今回の映画はヴィクトリア朝を描いていました。「ヴィクトリア朝に、狼男が出現したらどうなるか」というパニック映画、シミュレーションの要素は徹底しているように思えました。広大な領地の暗い森の中、ジプシー、貴族の屋敷、そして狼男として拘束されてヴィクトリア朝的な「治療器具」を備えた病院、さらにはロンドンで暴れ周り、パーティー会場にも入り込み、破壊と殺戮を行う狼男。
その姿は災厄、そのものです。
全然関係ない話かもしれませんが、最近読んだ週刊少年サンデーのコミックス『ARAGO ロンドン市警特殊犯罪捜査官』では、狼男が登場しました。この中の描写で面白かったのが、「もともとの狼男は銀の武器が効かない」「毛皮を被っていた」とのコメントです。
wikipedia「狼男」の「フィクション上の狼男」を見ると、映画の中で様々に設定が追加されていった様子が語られています。民間伝承として伝わったものがフィクションに書き換えられる中で、想像力を加えられて、やがてその追加されたものが「設定」として加わって行き、他の人々に使われる、というのでしょうか。
これは吸血鬼でも同様のことが言えますし(wikipedia:「吸血鬼」「現代の吸血鬼イメージ」)、「日本で描写されるメイド」についても私は同意見を抱いており、今後、この辺りを整理するつもりです。
関連リンク
日本におけるメイド表現を考える(2010/08/28)
[参考資料]『ドラキュラの世紀末―ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』