[参考資料]英国のカントリー・ハウス(上・下)


英国カントリーハウス研究の大家マーク・ジルアード氏による、カントリーハウス成立から衰退までの歴史を扱った上下巻です。カントリーハウス研究資料の刊行は、これまでご紹介してきた和書数点に限られていますが、その中では最も細かく、また専門研究者の視点で描かれています。ジルアード氏は英国における屋敷の保全・保護にも関与しており、この道で数多くの著作も残されています。

本書はその点で、総合的に「なぜ、英国でカントリーハウスが成立し、繁栄し、衰退していったのか」を扱う良書となっています。この本がなぜ日本で刊行されたのか細かい経緯は分かりませんが、翻訳者の方たちの努力のおかげでこの本と出会えたのは、イギリスの屋敷が好きな私にとって幸運なことでした。

前半は中世期の英国貴族の生活様式や、「城」の話が出てきます。基本的に戦争状態が続く、つまり様々な勢力が軍隊を保有する社会では、いつ攻められるか分からないので、貴族は城(城館)を拠点にしていました。しかし、耐久力を備えているものの、壁が分厚く、窓が少ない城は生活空間としては好ましいものではありませんでした。

英国でカントリーハウス(館)の歴史が発展していったのは、チューダー朝がもたらした王権の強化により、恒常的な戦争状態が終結し、軍事的侵攻を受けにくくなったことが一因として指摘されます。そして、1504年には家事使用人を除く男性家臣の雇用が禁止され、私設軍隊は解散させられました。(余談ですが、この法律以前にも同様の私設軍隊を解散する法令は存在したものの、強制力を持って施行できたのが、この時期だといわれています)

王権の強化は、「力による統治」から、「政治(縁故)による統治」へと変わり、その中で城の役割が失われていき、生活空間となる「屋敷」へと転換が進んでいきました。16世紀はカントリーハウスの発展の転換点となりました。

『派閥間の均衡を取り、貴族の抱える郎党に頼らず国王の指名する州統監に在郷軍を統括させること、現存する国の法廷を許可し、星室裁判所のように能率的な法廷の新設、一連の反乱を鎮圧し、力のありすぎる名門を破滅させて反乱の芽を摘んだり、君主の持つ魅力と威信を増大させ、宮廷生活のかもし出す希望と効用によって上流階級を惑乱し、法律に則って優遇や特典を与える、といった諸々の方法で、チューダー朝の諸君主、特にエリザベス1世は力による統治を法による統治に変え始めたのである。地方の権力構造に基づいて徒党を組むより、君主に対する功労や宮廷に有力者や友を持つほうが権力と財力への道としては勝っていた。最低のレベルでいうなら、威嚇より賄賂のほうが効果的な手段となった』
(『英国カントリー・ハウスの暮らし上』P.152)

こうした転換は、「縁故で相互に結びつき、ポストを融通しあう」関係を強め、その舞台として「もてなしを実現する」舞台としての屋敷の快適さを高めていきました。ここには書ききれませんが、当時の思想や価値観を表現する場にも屋敷はなっており、そうした屋敷の魅力と、そこで暮らした貴族、そして使用人の姿を伝える一冊(上下巻なので2冊)です。

下巻では最盛期を迎えた屋敷と、なぜ貴族が屋敷で暮らした時代が終わっていったのかが解説されていますが、屋敷を主体にしている点で、社会背景や年代的な歴史についての言及が少なく、ある程度、他の書籍と比較しながら読むのがよいと思います。