[参考資料]近代日本の上流階級―華族のエスノグラフィー

明治時代に誕生した華族を軸に、近代日本の上流階級を取り囲む環境や生活様式を解説する本です。関心があってこのところ近代日本のメイド事情を調べている中で出会いました。相当、面白いです。

著者は日本人ですがハワイ在住の研究者の方で、日本と海外双方の視点を備えており、本書にもそのスタンスが色濃く反映されています。日本の華族を相対的にみている、というのでしょうか。

私が見た限り、本書で重なりを指摘される・視点を借りている研究者たちの名前は、多くの日本の華族研究本では出てきません。彼女は「部外者」「研究者」に徹しており、きらびやかな生活やお屋敷、宮中事情や血筋といった話だけを主題にせず、海外の視点を備えることで、様々なコンテクストで華族を分解して描き出しています。

視点が多様だからと言って、日本的ではないとも言えません。著者は実際に数多くの「華族」だった人々に会って話を聞いたり、華族関連の日本の書籍を読んでいたりと、一つの領域の専門研究として非常にレベルが高いように感じられます。

私が特に気に入ったのは、第5章「生活様式」身分とヒエラルキーを示すもの、です。この章は日本の華族の屋敷が接客や社交を行う「表」(主人の担当領域)と、私生活で家族がすごす領域「奥」(女主人の担当領域)や、主人に近い方を「上」、遠い方を「下」とする上下関係についても言及しています。江戸時代の大名家の頃から続く伝統が、英国と似通っているのは面白いです。

また、日本の華族への呼びかけ方法の多彩さの解説も群を抜いています。殿様は「御殿」にいるから殿様で、「奥」にいるから「奥様」で、話し相手となる目下の呼びかけ者が目の前にいるので「御前」(御前にいる)「殿下」(殿の下にいる)、複合していくと世代の違いで「大殿様」「若殿様」「大奥様」「若奥様」となったり、あるいは公的な身分として爵位の「伯爵様」や官位の「五位様」(華族の跡継ぎが21歳で自動的に従五位の地位を得ることから)などは、整理されると目から鱗でした。

他にも屋敷の運営や日常生活にも言及しており、華族の家に勤める使用人事情も興味深いものでした。華族には旧大名家が含まれていますが、彼らは明治政府によって領地を召し上げられ、爵位を与えられました。東京に集中させられた彼らは、領地がメインでロンドンが出先となる英国貴族と異なっているのです(その点では、参勤交代が英国貴族の社交行動に似ているかもしれません)。

ところが、明治以降も旧家臣団との交流は途絶えず、彼らが使用人として屋敷に入り込み、かつての家臣団同様に家族家の家政を経営していたのです。華族家の運営を行う家令はさながら家老でした。女性使用人の採用でも、旧領地の関係者の採用も見られました。主人の近くに仕える女性には、女中のなり手としては少ない女学校出身者もいました。女学出身者は高い教育を受けられる機会があり、稼ぐために働く必要はありませんが、嫁入り前の修業としての奉公に出されました。

日本の女中事情はやや特殊で、職業としての成立が遅く、また成立したとしても各家庭での流儀がバラバラで、待遇がまちまちでした。雇用者と被雇用者で一致していたのは、丸抱えで面倒を見る=教育を前提にする雰囲気(強い要請として)です。女性は結婚前には他家に奉公に出て、礼儀作法を身に着けました。

また、使用人と主人との関係が、特に武家では随分違うように感じられます。武家はかなりスパルタで、子供を甘やかさなかったようです。

父は機会あるごとに私や弟妹達をさとした。使用人達はわが家の宝なのだ。あの人達の先祖によって前田家は支えられ安泰だったのだ。皆を大事にしなければいけない。使われる人の身になって、思いやりといたわりを失ってはいけない。子供はまだ半人前なのだから、親と同じような態度や口調で使用人に接してはならない。それは大変生意気で横暴に見える。きっと反感を持たれるだろう。だが、使用人にナメられるな、バカにされるような態度振る舞いをするな、相手の考えていることを察し、その本心を見抜けるようであれ、等々。
(中略)
人が人を使う、これほど難しいことはあるまいと、私は一言一句、一挙一動に気を配り、徐々に慣れていった。

『ある華族の昭和史 上流社会の明暗を見た女の記録』(酒井美意子、1986年、講談社)P.12-13より引用

同様の傾向は他家でもありました。以下は華族のお嬢様が描いた、使用人に説教される姿です。

『お台所の人は仕事が終わり、部屋に帰って自分のことをするために一休みしているところです。その人たちに向かって、お茶持って来てだのお菓子持って来てだなんて、そんな人の使い方がございますか。そういう人の使い方では、一軒の家の長にはなれません。あなた方はいずれ人を使う立場になるのですから、そういうことは許されません』

『絹の日 土の日 ハイカラ姫一代記』(徳川幹子、1994年、PHP出版)

日本の大名家は「イエ」主体で、当主の個性や人格はあまり問題にならず、「イエ」の存続が第一とされる伝統を持っています。その点で、当主は絶対者ではなく、あくまでも「当主の役割」を期待される側面がありましたので、そこから外れる場合には使用人からお説教を受けることとなりました。主従逆転の構図は日本に限らず、また英国でも見られるものですが、家によってはかなり窮屈な雰囲気が伝わってきます。

少し余談となりましたが、華族独自の生活環境や、西洋化への憧れが強かった近代日本で海外に留学に行ける経済から外交官となる姿や、西洋式の生活を日本に持ち込む窓口としての姿も描かれています。

この本を読むといろいろ「比較」をしたくなり、ここで得た視点で英国を見るとまた違った面白さがあります。