『抱擁』は1990年代以降の英国におけるヴィクトリア朝ブームの牽引役として知られる作品です。1990年に『抱擁』はブッカー賞を受賞し、また2002年にアメリカで映画化もされました。私がこの作品を知ったのは、この映画の方です。
この本の著者A.S.バイアットと、同じく日本でも著名となったミステリ作家サラ・ウォーターズが有名な理由は、その作品が学術的に豊富な知識に基づいて構成される点です。サラ・ウォーターズは博士号を持ち、バイアットも教壇に立つ専門研究者です。
私は主にサラ・ウォーターズのファンですが、今回初めて『抱擁』を読みました。感じたことは、この作品は読み手によって大きく作品のコンテクストが異なる作品と言えます。バイアットの文学的な研究成果や彼女自身の才能が織り込まれており、ヴィクトリア朝や英文学に詳しい方が読むと、その楽しさがより深く感じられるからです。注釈の数が半端ではありませんし、注釈以外でもヴィクトリア朝英国らしさであふれています。
物語の構成は3つあります。1つは現代を舞台にした専門研究者の物語です。19世紀後期の詩人ヘンリー・アッシュを研究するローランド・ミッチェルはある日図書館で、アッシュの書き残した手紙を見つけます。この手紙は誰に向けて書かれたものなのか、さながら犯人のアリバイを調べるかのように、ローランドは歴史を調べ、資料を駆使し、その姿を追いかけます。彼は、その発見を上司たる教授へ報告せず、自分だけで調べようとします。
そこで浮上した人物が、フェミニストとして知られるクリスタベル・ラモットでした。ローランドはラモットの研究者モード・ベイリーと出会い、アッシュの手紙の宛先が彼女ではないかと確証を強めていきます。二人は共にアッシュとモラットの関係を調べようと、彼らに由縁のある土地を訪ねたり、資料巡りを始めます。どちらにとっても、それは新発見になります。
2つ目の物語が、この過去に登場する人々(主に書簡)です。そこにすべては書かれていませんが、手紙を通じて過去の人物や彼らの心理が伝わってきます。手紙は非常に重要な鍵となります。それまでの証拠から組み立てられてきた学説や研究成果が、一気にひっくり返るかもしれないからです。
また、誰かがその資料自体を知っていたとしても、その向こうに何があるのか、どういう背景で書かれたのかを知る視点が無ければ、価値を持たないこともあります。ローランドが見つけた手紙はそれ自体が、「過去を新しく照らし直す」資料でした。
3つ目の物語が、当時のアッシュとラモットが残した「作品」です。手紙は私的な感情を記録していますが、作品は作品として完結しています。しかし、作品はその当時の作者の生き方と切り離せず、それが書かれた当時の影響を何かしら残すものです。手紙はその点で、「作品がなぜ生まれたのか」「作品に織り込まれたコンテクストは何か」を分解して描き出す手段にもなります。
というところが、この『抱擁』の主軸を成すものですが、主役のローランドの研究者としての身分の危うさ、将来性のなさ、絶望感が何とも言えず、それが物語に緊迫感を与えます。話自体は正直なところ非常に長く、また途中途中で織り込まれる「アッシュとラモットが残した作品」や、「当時の手紙・資料」が私にはとても冗長に感じられました。私が読みたいのは「物語」であっても、「誌・文中に描かれる作品」ではないのです。その作品自体に意味があるのですが、慣れていないので……
上巻を読んだ時点では「ドラマの方だけ見ればよかった」と思いましたが、下巻を読み終えるとその読後感から、「原作を読んでよかった」と思えました。物語の構成や展開はとても好きな作品なので、諦めずに読むことをおススメします。ただ、あまりにもコンテクストが多すぎるので、それが楽しめる人には極上の魅力であり、そうでない人には長いとなると(主に私が)感じました。論理的には最高の作品だと分かっていても、そこに馴染めないというのでしょうか。
映画版がどのようにあのテキストを整理したのか興味があるので、今度見てみるつもりです。