[参考資料]『ドラキュラの世紀末―ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』

吸血鬼は世界的に有名な存在です。様々な映画、小説、コミックスで題材にされて、その作品に接する人たちは設計・存在を熟知しています。「血を吸う」「血を吸われた者は眷族となる」「十字架に弱い」など、存在は「様式」と呼べるまでに昇華しています。

吸血鬼の存在を際立たせたのは、19世紀末・ヴィクトリア朝に登場した『吸血鬼ドラキュラ』です。ブラム・ストーカーの作品、吸血鬼といえばドラキュラ、というぐらいに強力なイメージを作り上げました。しかし、『吸血鬼ドラキュラ』は作品として強力なキャラクター魅力を持った作品としてだけではなく、当時の世相を色濃く反映していた作品でした。

目次を先に見ていきましょう。

[イントロダクション]
1:ドラキュラの謎
2:ドラキュラの年は西暦何年か

[帝国主義の世紀末]
3:新興恐怖と海峡トンネル計画の挫折
4:アメリカ恐怖と「栄光ある孤立」の終焉

[反ユダヤ主義の世紀末]
5:ユダヤ人恐怖と外国人法の成立
6:混血恐怖とホロコースト

[パストゥール革命と世紀末]
7:コレラ恐怖と衛星改革
8:瘴気恐怖と細菌恐怖

主に3つのパートに分かれていますが、19世紀末にいたるまでの間に、イギリスは様々な恐怖にさらされていました。本書は歴史の中で描きにくい、その時代の空気感を「吸血鬼」を通じて、抉り出すものです。

イギリスは帝国主義の反動による、「侵略の恐怖」に直面していました。各地に植民地を拡大したイギリスは、19世紀末までに軍事面や産業面で新興国に脅かされる立場になっていました。1870年代以降は海外からの輸入品が入り込み、鉄鋼業や重工業などはアメリカやドイツで著しい発展が見られました。

軍事力を増すドイツからの侵略の恐怖は強くありましたし、その世相を反映するように「仮想戦記」(侵略される)の小説が多数刊行されました。国際的に孤立したイギリスにとって、言語が同一で近しい価値観を有する国力を増すアメリカは力強い味方になりえる存在でしたが、同時に帝国主義的に領地を拡大するアメリカには恐怖がありました。

吸血鬼は侵略する存在であり、吸血鬼の撃退に立ち向かうイギリス人、オランダ人、そしてアメリカ人の連携、その国民性の描写にはイギリスの抱えていた国際的な空気が存在する、というのが筆者の主張です。

国力が低下すると、侵略への恐怖と同時に、排外主義が高まります。イギリスが直面した第二の恐怖は「内側からの移民による侵食」でした。ロシアで反ユダヤ運動が高まり、多くのユダヤ人がロシアを離れ、イギリスにもやってきました。イギリスでも移民の受け入れは行われましたが、その受容の過程は複雑なもので、社会問題を引き起こしました。

『たとえば人口過密とその結果としての(家屋の不足による)家賃の上昇および非衛生と伝染病の危険、労働力過剰による「苦汗労働制度の出現」とイギリス人労働者の失業、売春などの犯罪や労働者のあいだのアナキズム的傾向の助長』
(『ドラキュラの世紀末―ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』P.111より引用)

社会に変化を及ぼしながら、「部族で集合する・完結する・国の中に溶け込まない」存在である彼らは不安を呼び起こしましたし、ロスチャイルド家に代表される金融家としての側面にも反感が生じていました。国民と「同化」しようとしないユダヤ人とは、婚姻を通じた受け入れを主張する意見が出されましたが、中には後のヒトラーに通じて「劣等な民族」と断じて混血を「侵略・種の劣化」とみなす人もおり、それが20世紀のナチス・ドイツに見られる虐殺へと繋がりました。

海外から流入する、異文化を持った移民の存在への恐怖が吸血鬼ドラキュラに反映されている、と筆者は分析します。吸血鬼は、「外部からの移民」であり、血を吸うことで「自分の眷族を増加」(混血による劣化)させていくと。ストーカーのドラキュラの描写の中には、ユダヤ人を案じさせる数多くの要素(ユダヤ人が多くいた居住地をドラキュラの住まいに選ぶなど)も混ぜ込まれていました。

繁栄の陰りに怯える島国・イギリスが直面した社会不安や侵略恐怖は吸血鬼に表象され、外部からの侵略・内部からの侵食、その入り込んでくる存在への恐怖を具現化したものでした。社会に不安が存在した中で具象化した作品だったと読み解いていくのが、本書の魅力です。その時代にある空気は、刊行されている作品の傾向やジャーナリズムの論調などに見られますが、吸血鬼はこうした社会背景なしでは生まれ得なかったものでした。

年代別や事件を列挙した歴史が「縦糸」だとすれば、社会背景や作品を通じて時代背景を照らして「コンテクスト(文脈)」を読み込んでいく本書は「横糸」のようなものに思えます。ヴィクトリア朝は非常に複雑で多面的な時代で、見る人が見ればそこに存在する数多くのもの(たとえば探偵『シャーロック・ホームズ』や『不思議の国のアリス』でさえも)がこの見えにくい意図、コンテクストの上に成立している時代でもありました。

個人的にこの「コンテクスト」を読み込む批評的な文章が苦手でした。存在しないものを存在しないように解釈しているように見えたり、衒学的な雰囲気を感じていたりしたからです。しかし、当時存在した女性画から女性への偏見・嫌悪を描き出した『倒錯の偶像』が分かりやすく、様々な作品からその背景にある思想を浮かび上がらせるコンテキストに興味を持たせてくれました。(高山宏さんの書籍も)

本書はまったく衒学的ではなく、『吸血鬼ドラキュラ』を視点のひとつとして、ヴィクトリア朝の「外国恐怖症」(ゼノフォビア)を見事に描き出していますし、恐怖→嫌悪→排除→虐殺へと続く価値観受容の流れは、後の歴史を学ぶ意味でも今を見る視点としても参考になります。