英国ヴィクトリア朝の1860年に実際に起こった殺人事件を扱ったノンフィクション『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』のドラマ化です。第1話のみが原作のドラマ化で、第2話からはオリジナル(=創作)になっています。
原作小説のあらすじ
1860年、英国のカントリーハウスで3歳の男児が夜中に姿を消した。両親と兄姉、使用人たちは必死に捜索をするが、幼児は惨殺死体となって邸内で翌日発見される。新聞や雑誌が大衆の好奇心を煽り事件は注目の的となるが、創設まもないスコットランド・ヤードの最初の刑事、ウィッチャー警部の捜査は難航を極め……。ディケンズやコナン・ドイルに影響を与えた伝説の事件の意外な真相に迫る。サミュエル・ジョンソン賞受賞。
以下は、原作版を読んだ時の感想です。
原作タイトルにあるように、ウィッチャー警部は英国で「最初に組織された刑事」の一員で、ロード・ヒル・ハウスで起こった幼児殺害事件の真相を突き止める役目を負います。当時のメディアが熱心に報道し、犯罪報道の加熱具合も現代に通じる点がありつつ、その分厚い一冊の原作小説を90分でまとめるので詳細はだいぶ削られているのは非常に非常にもったいないのですが、ドラマの魅力は大きく3つあると思います。
始まりの空気感
殺人事件の舞台となったのは、1860年のヴィクトリア朝の中流階級の屋敷です。広大な領地に囲まれた立派な屋敷ではないものの、ナースメイドやメイドたちが働いています。その事件があった日の朝、屋敷は普段通りの穏やかな朝を迎えたはずでした。メイドたちは仕事を始めたものの、ナースメイドは、面倒を見ていた幼児サヴィルが子供部屋から連れ出されているのに気づきます。
母親が連れ出したのかと思いきや、母親もそれを知らず、穏やかな雰囲気は一転して、慌ただしく捜索が始まります。朝の柔らかな日差しが窓から差し込む屋敷の応接間ですが、そこから賊が忍び込んだ痕跡ではないかとも思われるものでした。そして、屋敷の使用人たちと周囲の村人たちとで、屋敷の中と外の捜索が始まります。
その捜索する屋敷の中の仕事場や、庭園の作り込みが、陰惨な殺人事件とまったく感じさせない太陽の光の美しさに包まれているのも印象的です。日常は日常として続き、日常の延長にある豪華すぎない屋敷や、素朴な登場人物たちの雰囲気の先に、事件が起こることで人々の捉え方が一転していくのです。
丁寧に作り込まれているものの、作りものめいていない感じが、なんとも言えずに魅力的です。
捜査の難しさの描写
このロード・ヒル・ハウスという中流階級の家庭で起きた残虐な幼児殺人事件は議会でも話題となり、事件解決の世論に押されて警察による捜査を「刑事」が責任を持って行うように指示が入りました。その担い手が経験豊富なウィッチャー警部でした。
ウィッチャー警部は縄張り意識を発揮して非協力的な現場の警察署長や協力するといいながらもどこか裏を感じさせる被害者の父やその息子と娘に直面しつつ、その周囲の家事使用人や村人や家族の友人などから証言を固めて、屋敷の間取り図も取り寄せて推理を組み立てていきますが、「早期に解決しろ」という上層部からの圧力が強く、不十分な状態で裁判を迎える状況に追い込まれます。
科学的捜査とも無縁の時代であり、刑事の引き出せる情報(推理・物証・証言)を組み合わせて裁判に臨むものの、その裁判でも難しさに直面し、正直なところ、「普通の刑事ドラマのように、この事件は解決するのか?」と冷や冷やしながら見ることになります。原作を読んでいたので結末を知っていますが、簡単に結果が変わる可能性が高くありえた時代(無罪の人を有罪にもできる・有罪の人が無罪にもなる)なのではないかとも、思えるものです。
史実に基づくことでの不安感・事件は解決されるるのか?
普通の「刑事ドラマ」は「事件が起こり、探偵・警察が犯人を突き止め、真相を暴く」筋立てになっています。しかし、このドラマでは主人公たるウィッチャー警部を取り囲む状況が厳しく、「本当に事件は解決するのか?」「立証できるのか?」「ウィッチャー警部の推理はあっているのか?」という不安が生じます。
以下、ネタバレです。第1話の結末に触れています。
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第1話は実話で、物語のように捜査役が綺麗に物語を解決するものではありませんでした。ウィッチャー警部は犯人を突き止めますが、以下の2つのアクションで、全てがひっくり返されます。
・動機:容疑者となった娘は、義理の母を憎んでいて、その息子(義理の弟)を殺害する動機を持っていた。
→友人の証言で犯行動機を裏打ちするも、ウィッチャーに解決を依頼した父が弁護士を雇い、その行動で友人の証言が予備審問の場で翻る。
・痕跡:犯行時に着ていた血がついた寝間着について
→偽装工作をメイドの証言から看破して物証を捜すも、警察署長が非協力・証拠の隠蔽を行う。
もっと捜査に時間をかければ解決できていたかもしれないものでしたが、上からの圧力という不十分な状況と、地元警察(捜査妨害)と被害者の非協力(弁護士起用)とで予備審問に臨み、立証できず、犯人不明のままとなるのです。
そして事件から数年後に、ウィッチャー警部が突き止めた犯人が信仰心に目覚め、自分が犯人だと罪を認める自白を行うにいたり、真相が解明されることとなります。
第2話以降はフィクションとなり、オーソドックスな「刑事ドラマ」へと近づいていきます。ウィッチャーは警察を辞めて過去の事件を解決できなかったトラウマに苦しんでいます。そして、自分に自信がないままながらも、「姪がいなくなった」という婦人と出会い、彼女の力になろうとその捜索に関わり、真相を突き止めていくこととなりますが、そこでもまた「本当に解決できるのか?」が付きまといます。
このなんとも言えない不安感がピークに達する出来事も起こり、その転換の激しさは劇的に過ぎます。
第3-4話をこれから見ますが、先が読めない面白さと、丁寧な作り込み、そして先述したように「簡単に結果が変わる可能性が高くありえた時代(無罪の人を有罪にもできる・有罪の人が無罪にもなる)」の怖さも、作品内に漂っています。