[映画/ドラマ/映像]The Scarlet Tunic(『憂鬱なドイツ騎兵』)

『The Scarlet Tunic』の原作は、トマス・ハーディの美しい短編小説『憂鬱なドイツ騎兵』(『The Melancholy Hussar of the German Legion』)です。ハーディの映像化は様々にされていますが、田園の風景、映像、音楽、キャスティング、そして翻案されたストーリー、そのすべてにおいて、今まで見たハーディ作品の中では一番好きな映画です。

トマス・ハーディの小説は偶然・運命に翻弄される人々が階級に関係なく、描かれています。そこを悲劇に見るのか、ユーモアに見るのか、見方は分かれますが、少なくとも、そこに翻弄される小説の当事者にとっては、残酷なまでの悲劇、しかしそれが現実の持つ一側面です。

ストーリーの好みはありますが、描写において、彼の作品は「古きよきイギリス」の姿を残しています。中でも、彼が愛した故郷をモチーフにした田園や田舎の光景、「ウェセックス」で生きる人々を、美しく描き出しています。

日本では『テス』が有名ですが、ロマン・ポランスキーとナスターシャ・キンスキーの功績が大きいでしょう、大学で英文学を学ぶか、何かきっかけが無ければ、ハーディの作品に触れる機会は極端に少ないです。『日陰者ジュード』の岩波文庫が絶版、それ以外も短編集が少し、という扱いです。

しかし、ハーディの作品はイギリス人の気質にあうのか、意外と映像化されており、リメイクも繰り返されています。映画『めぐりあう大地』は『カスターブリッジの市長』(映画化のおかげで小説が出ていました)を翻案したものです。個人的にはメイドが主役を務め、階級を超えた結婚による親子間の不和を描いた『The Son’s Veto』が最高に好きですが、この『憂鬱なドイツ騎兵』も忘れがたい雰囲気を残します。

以下、ネタバレです。
ご注意ください。

原作のあらすじ

原作では、開業医(ほぼ隠遁)の父を持つフィリスが主人公です。語り手はフィリスの孫の少年、なのです。若かりし頃、フィリスの村の近くに、ドイツ人騎兵隊が駐屯します。新潮文庫の注釈によると、ジョージ三世は先祖の出身であるドイツ人を親衛隊にしていたそうです。そのドイツ人騎兵の一人、マテウスとフィリスが恋に落ちます。フィリスの家の近くからは、駐屯地が見える距離でした。

しかし、フィリスには婚約者、と呼ぶには親密ではない、かといってまったく縁が無いとも言い切れない、グールドという男がいました。彼は名門の出身であり、一時はフィリスに熱上げて、婚約にまでこぎつけていましたが、実は貧乏で、様々な口実をつけて、しばらくフィリスから遠ざかっていたのです。

フィリスはグールドが気になるものの、マテウスと激しい恋に落ちますが、その恋はマテウスの軍人としての責務を放棄させるものでした。フィリスとの逢引で宿営に戻るのが遅れて降格、さらに恋するがあまり、彼は軍隊を捨てることを考え、実行に移します。

元々、若いドイツ兵たちは故郷を遠く離れたイギリスに駐留するのを嫌っていてい、マテウスもそのひとりでした。彼は故郷に残した母を想い、何度かそれを口にします。それにあくまでも彼は若い軍人に過ぎず、フィリスの父親が結婚を許すはずも無いと……

マテウスは、僚友たちと船でイギリスを出てフランスに逃げ、故郷のドイツで暮らそうと持ちかけます。なぜ逃げるのか、それは軍隊からの離脱は、場合によって「死罪」だったからです。

そして約束の場所へ向かう途上、フィリスは偶然(これがハーディの特徴です)、自分の元へ向かうグールドを見かけます。グールドはフィリスに気づかぬまま、同乗者へ話します。フィリスが騎兵と付き合っているという噂を一笑に付し、さらに長い間、会おうとしなかった不実を詫びるため、贈り物まで用意したと。

フィリスの気持ちは揺れに揺れて、結局、彼女は自宅に帰り、グールドと時を過ごします。しかし、グールドが語ったのは、「実は妻がいる」という現実でした。婚約は解消、です。

その後、フィリスはマテウスと逢引していた家の近くの場所に足を運び、残酷な現実に直面します。フランスに渡ったはずのマテウスは、運悪く捕まって、仲間の分も罪を背負い(4人で逃亡、もうひとりと一緒に、ふたりで罪を負う)、目の前で銃殺に処されたのです。

もしも、あの時、グールドを見かけなかったら。

グールドに誠実になろうとしたフィリス、しかしその結果、彼女はグールドの裏切りにあい、さらに彼女はマテウスを裏切り、ある意味で死に追いやった、そういう、悲しい話です。

この短編をどのように加工するのか、興味がありました。

映画の展開:原作との相違

ヒロインの名前はフランチェスカ、彼女の母親はフランス革命を逃れた貴族の娘、という設定です。父親は医師、屋敷にはハウスキーパーとメイド?の小さな女の子Amyがいます。フランチェスカを演じるのはEmma Fielding、知らないです。

彼女と出会うマテウスは、Jean Marc Barr。髭です。よい紳士です。それに、この物語では弟がいます。最初は深く考えませんでしたし、見終わってから気づいたのですが、この人物設定は、物語を翻案したStuart St Paulが、ハーディの作品を単なる悲劇として終わらせないためのものでした。

映画では冒頭からグールドが登場し、彼は裕福な男として描かれます。グールドはフランチェスカに求婚し、彼女はそれを受け入れる、という部分が、原作より協調されています。

マテウスとフランチェスカが恋に落ちる、というところは同じです。これが映像となると、非常に美しく、フランチェスカの屋敷のMaze(迷路)を舞台に、まるでアーサー・ヒューズ『四月の恋』のような光景が繰り広げられるのです。

ふたりが親密になる一方、マテウスの同僚が村娘と恋に落ち、脱走。捕まって銃殺になる、という事件があり、マテウスとフランチェスカの恋の先行きを暗示します。この後、様々なエピソードを織り込みつつ(残忍で厳格な上官フェアファックス卿とマテウスの度重なる衝突、逢引の後で馬が死に、馬の管理をしていた弟が鞭打ち、父とハウスキーパーの恋、小さなメイドのマテウスへの思慕)、マテウスの逃亡劇にいたる終幕は同じです。

ラストシーンへの激しさ

が、そこにいたるまでの話の展開は見事です。ハーディの悲劇的要素を十分に盛り上げました。仲間たちと脱走するマテウス、海岸で彼女を待ち続けます。

途中で家に引き返すフランチェスカ、グールドから持ちかけられた婚約解消、ここで話は終わらず、フランチェスカは贈られた鏡でグールドを殴り、マテウスの後をもう一度、追いかけます。

グールドはフェアファックス卿と知己があり、事件の後、すぐにフランチェスカへの意趣返しとばかりに、その元へ行きます。マテウスたちの脱走が発覚、追っ手が差し向けられます。マテウスは忠実に最後まで待ち続けましたが、追っ手の方が早く、マテウスの弟だけが船に乗って脱走に成功、残りの兵は捕まりました。

フランチェスカは間に合わず、ただマテウスが剥ぎ取られた緋色のチュニックが、海岸に残されていました。屋敷に戻ったフランチェスカはその後、マテウス処刑の話を聞き、彼の最期を看取るものの、銃殺現場に立ち会っていたグールドを見つけると狂乱し、手近な兵の手から銃を奪い取り、グールドを狙う……しかし、フェアファックス卿が先に彼女を撃ち、物語は悲劇に終わりました。

はずでした。

優しい結末

ハーディの物語に忠実ならば、ここで終わりますが、脚本家はそこで終わらせませんでした。舞台は数年後、墓参りをするフランチェスカの父、その父の前に姿を見せたのが、逃亡に成功したマテウスの弟、クリストフでした。

クリストフはそこで、成人したメイドの?Amyと、彼女の傍にいる小さな女の子、その子の名前はクリストフィー――あの事件の後、わずかに生き延びたフランチェスカが産んだマテウスとの子供?:感極まっている演技で英語が聞き取れませんでした――を紹介するのです。

肩を並べて、歩き出す三人。

なぜマテウスに弟が必要だったのか、なぜ弟だけが生き延びたのか、そこには家族想いだったマテウスの性格と、ここでの再会、救いのある終わりにしようとした脚本家の優しさが感じられます。素晴らしい伏線だったと感動しながら、見終わった後、原作を読み直すと、弟の名前がクリストフだった理由が、わかりました。

原作でマテウスと一緒に逃亡し、さらに捕まった後はマテウスと共に他の仲間の罪をかぶった忠実な同僚の名前が、クリストフだったのです。原作の味を殺さず、原作の持つ雰囲気を殺さず、その上で脚本家の個性を発揮し、見終わった後にさわやかになれるような結末、見事でした。こういうのを見た後、原作に忠実な作品を見るのは、また辛くなりますが……

ボーナストラックには出演者インタビュー、予告編、それに脚本家によるオーディオコメンタリーまで盛りだくさんです。一応、Region1のアメリカ版の取り扱いはAMAZONでもあるようで下記にリンクを載せておきます。日本の通常のDVDでは再生できないのでご注意下さい。


原作小説はこちらです。