現在映像化されている屋敷関連の資料の中では、最高峰の位置づけとなる作品です。英国メイドを扱ったコミックス『エマ』の作者・森薫さんはこのDVDと、『ヴィクトリアン・サーヴァント』があれば英国メイドマンガが描けると推薦した一作です。
もしもメイドや英国貴族に興味があり、この映像を見ていないならば、それはもったいないことです。
使用人の世界・価値観を再現した魅力的な作品
イギリスChannel4による、英国に実在する屋敷で当時の生活を3ヶ月間体験するドキュメンタリー番組です。参加者は公募の一般人ですが、この番組の特異な点は屋敷で暮らす上流階級の人々だけではなく、屋敷で働く執事やメイドといった家事使用人までも、現代人に体験させている点です。
家事使用人の境遇は現代人からすれば受け入れられるものではなく、当時の人々も「他に仕事がなかった」「生きるために選んだ」ことで、女性労働者として最大の職種になりました。しかし、他の職種が選べるようになっていくと次第に人気が無くなり、第二次世界大戦後は女性労働者最大の地位を、書記/事務職に譲りました。
不人気の理由のひとつは、使用人の不人気を分析した1920年代のある心理学者によると『女主人は仕事だけではなく、使用人にマナーを求める』ことが問題でした。使用人は家事労働の代価として賃金を得るプロセスで、主人や女主人といった「雇用主」から劣っている者として扱われる環境にありました。
ドキュメンタリーでは使用人の境遇を再現するために、当時の使用人と同様の数々のマナーを課しました。これは英語公式サイト/アメリカ版で公開されていますが、たとえば使用人は自分から主人に挨拶したり、話しかけたり、笑いかけたりしてはいけません。あくまでも主人の側から聞かれた場合に応じるのみです。
また、端的な事例として映像の中にあるのが、ハウスメイドが掃除をしている際に女主人が通る場合、道を空けるだけではなく、壁際に寄って背を向ける・直視してはならない、など、「存在しないかのように振舞わなければならない」のです。
他にも様々なルールが使用人の世界にも持ちこまれ、管理者である上級使用人が臨席する食事の場で、下級使用人は自由な会話が許されません。現代人には受け入れがたく、初日にこの体験をしたメイド役の女性はひどく傷ついていましたが、次第に彼女たちはルールを受け入れていきます。
役割を演じるうちに変化していく
大変興味深いのが、役割を演じるうちに飲み込まれていく点です。極端な例では主人となるSir John Olliff-Cooperと、執事のMr Edgarです。Sirは裕福な実業家で、当時の価値観を早期に受け入れます。主人階級にも使用人同様にルールがあり、まさに過去の使用人が主人を嫌ったのと同じ態度で、Sirは使用人たちに接します。
一方、現代人である若い使用人たちを指揮して職務に精勤するMr Edgarはプロフェッショナルとしての己の役割を果たすため、執事の役に没入し、価値観まで似ていきます。次第に没入した彼は少し甘やかした部下に裏切られた後は「規律、規律、規律」と呟いたり、「主人と執事は一心同体」といって主人の期待を裏切った仕事をしてしまった時には悔し涙を流しそうな勢いにまで、入り込みます。
管理職として部下に仕事の結果を出させること自体には時を越えた普遍性がありますし、自分の仕事に責任感を持っている人は、仕事なのか役なのか分からなくなってしまうとは思いますが、演じるうちに気持ちが変化していく様子は、なんともいえません。特に、最終日、ハウスメイドを演じた女性は「メイドとして、私は床の汚れが許せないの」と、誰にも頼まれていないのに床の掃除をしていました。
躍動感あふれるシェフ
もうひとり、シェフ役を演じた方が最高でした。彼は現実にも料理人であるため、素人で甘い考えを持った現代人演じるメイドに、当時のシェフさながらに接し、3ヶ月の間で、キッチンで最下層の雑用をするスカラリーメイドは、2人交替(3人目が登場)しました。職場はぎすぎすして、本来、雑用をしないはずのシェフ自身が手を動かさなければならないほど、大変な状況でした。
しかし、彼は最高のシェフです。最高に素晴らしいのはダイナミックな厨房の描写です。シェフはプロの人なので、当時の石炭のオーブンや炉を駆使して、鮮やかに銅の鍋を操り、見るも鮮やかな料理を作り上げます。このシーンを見るだけでも、お金を出す価値はあります。
ひとりで何役もこなすので、キッチンを手早く動き回ります。躍動感があります。炉の中に火かき棒を突っ込んで火加減を調整しているかと思えば、見栄えのするフライパン捌き、そしてオーブンからこんがり焼けたパンを取り出す……
当時の料理の風景をここまで映すのかと、びっくりです。仕上がった料理も盛り付けに使われた皿も美しく、屋敷で最高級の給与を受け取り、「使用人ではなく、芸術家だ」と言い切ったかつてのシェフを想起させるような、最高の技術を見せてくれます。
また、客人を迎えてのディナーにあたって、作られた料理が廊下を通って階段の上にあるダイニングルームへ運ばれ、給仕されるディナーの一連の流れが再現されてもいます。デザートを作るところまで描かれていて、マニア垂涎の内容です。
ひとつひとつの皿に鍋から料理を映えるように盛っていくのも、純粋に技術として洗練されており、この人の動きはある種、芸術的ですし、ひとりだけ当時の価値観を貫き、孤高を保ち、最高の料理に専念したした姿は、本当に、「料理のためならば部下に嫌われるのも構わない」当時のコックを再現していました。
個人的な思い入れ
2004年のある時、この映像作品を下にした資料本を何気なく購入し、映像化されていることを知りました。当時は日本のDVDでは再生できないアメリカ版のDVDしかありませんでしたが、なんとか環境を整え、視聴しました。アメリカ版ながらも、ウェブで紹介した所、自分のAMAZONアフィリエイトで20~30個ほど販売されたぐらいに、多くの人が待ち望んだ作品だったといえるでしょう。
その後、2006年末に、日本で映像化すると日本語化担当の方から連絡があり、翻訳や監修のような話をいただきました。しかし、メールの不備で連絡が取れなくなり、公式に発売の話は公になったときに、ブログで感想を書いたところ、連絡をいただけました。
DVD『MANOR HOUSE』日本語字幕版・久我も普及に協力します
残念ながら具体的な参加はできませんでしたが、良い体験にはなりましたし、公式サイトで販売していた時期の副読本には、Special Thanksで名前を載せていただきました。
AMAZON版と公式サイト販売版の相違
AMAZONのレビューにて取り上げられているのは、元々、本作品が公式サイトのみの頒布の「初回限定版」(1.6万円ぐらい?:DVD3枚組+副読本+番組関連DVD2枚)で販売していた後に、「普及版」(1万円以下:DVD3枚組み+簡易副読本)として販売が行われた経緯があるためです。
担当者の方には一度しかお会いしませんでしたが、そもそも日本で販売して売れるかが分からず、リスクを抑えるために公式サイトのみの通販で始めたものでした。その後、AMAZONでも流通する一般普及版が出るにいたったので、会社として負えるリスクの大きさがかわったのではないかと推測しています。
また、イギリス版での原題は『THE EDWARDIAN COUNTRY HOUSE』で、アメリカ版では『MANOR HOUSE』となり、日本はそのタイトルに準拠しています。2006年ぐらいにはイギリスでもDVD版が発売されています。
リンク集
日本公式:MANOR HOUSE(マナーハウス) 英國発 貴族とメイドの90日
アメリカ版公式:MANOR HOUSE
MANOR HOUSE感想/2004年時点