英国メイドスキーには必読の一冊、「英国メイド漫画」の個人的殿堂入り作品です。
「時代の荊が苛むとしても、わたしはあなたを――。 1900年イギリス。愛が、家族が、社会が荊だった頃。憧れの作家に師事するため渡英した九條華子。拠り所のない彼女をメイドに雇った貴族令嬢アリス・ダグラスにはある思惑があった。「私を殺して」アリスの切なる願い、華子はその真意を探るが――。」
あらすじの短い一文にあるように、物語はブランドン伯爵令嬢アリス・ダグラスと、アリスに仕えるメイドとなった日本人の九條華子が主役となります。日本人である華子が英国へ来た大きな目的は、作家ヴィクター・フランクスに会うためでした。
ヴィクターの本と日本で出会った華子は強い想いを胸に、彼と会いたい一心で出版社を訪れますが、編集者は「ヴィクターは正体を隠している」と面会を断ります。目的を果たせず、行くあてなく深く落ち込む華子に手を差し伸べたのは、たまたま出版社に来ていた伯爵令嬢のアリスでした。「自分付きのメイドにならないか」というアリスの申し出を華子は受諾して、アリスの実家である伯爵家で働き始めます。
しかし、条件を一つ出します。それは「私を殺して」という願い、でした。「殺して」というアリスの願いの真意を探る中で、華子はアリスに魅了されていき、その真意がわからないものの、アリスが生きる別の道を探るべく、メイドとなります。
こうして、ふたりの主従関係が始まります。
基本的にアリスと華子の視点で物語が描かれるため、上流階級も家事使用人の職場環境もきっちりと描かれていきます。特に物語上、華子はお嬢様たるアリスの側近くに仕えて身の回りの世話をする「侍女」のため、基本的にはアリスとの時間が多くなります。一緒に過ごす中で、自分にあるもの、自分にとって大切なものが相手にもあることを知り、さらに自分にはない部分を魅力的に感じ、段々と距離を詰めていくふたり。それは、よりアリスを、華子を知る機会となりました。
そうした作品テーマのひとつとして描かれているのが、「読書」です。国を超えて、日本までやってきた一冊の本が、華子を英国まで導きました。華子の作家に会いたいという強い想いが、居合わせたアリスを動かしました。響き合うような「お嬢様」と「メイド」の心理と関係性が繊細に描かれ、お互いに好意を抱き必要としていきます。この辺りに、当時の時代背景を踏まえた価値観、家庭環境、社会的偏見などが加わっていき、物語は終局へと向かっていきます。
総論としては、英国ヴィクトリア朝のメイドとお嬢様がメインとなる商業出版の漫画は多くはなく、かつ作者の毒田ペパ子氏が大好きであろう英国要素が随所に盛り込まれているので、この時代のメイド・建物・読書などが大好きな人にとっては宝物のような作品で、絵も物語もとても可愛く美しいです。ジャンルとしてお嬢様とメイドの恋愛となり、「百合漫画」で、「百合漫画大賞2020」でも4位入賞となっております。モチーフ的には私が大好きな作家サラ・ウォーターズの『荊の城』が好きな方には特にオススメです。
pixivコミックスで第1〜3話まで公開されていますので、是非試し読みを。
この作品で背景にしているヴィクトリア朝の時代背景、人名、題材、要素も深めてみると、より作品が楽しくなると思います。一つだけ挙げるならば、2巻でアリスの妹ジェーンが、エリック・サティの「グノシエンヌ」を弾くシーンがあります。私はドラマ『名探偵ポワロ』「五匹の子豚」で流れていたことでこの曲を知りましたが、実際に曲を聴きながら読むと、味わい深いものがあります。エリック・サティがこの曲を作曲したのは、wikipediaによれば、1889年から1891年と1897年とのことで、当時の音楽家が作曲した曲を聴くという体験も良かったです。
さらに、個人的に「英国ヴィクトリア朝にいる日本人」という構造も好みです。滞在記を書いたジャーナリスト長谷川如是閑、英国で建造した軍艦を見に行った軍人・広瀬武夫、デヴォンシャー公爵家の屋敷チャッツワースを訪問した岩倉遣欧使節団、留学していた夏目漱石、そしてロンドンで画家として著名になった牧野義雄などのエピソードなど、様々にあります。
とても大切なこととして、日本から来た華子はメイド服に加えて、2巻の表紙にあるように『はいからさんが通る』を彷彿とさせる海老茶式部を着ることもあります。寝るときも日本の寝巻きです。ここも、素晴らしいです。