[小説]侍女―エリザベス・B・ブラウニングに仕えた女性

『侍女』はヴィクトリア朝の詩人ロバート・ブラウニングとエリザベス・バレット・ブラウニングに仕えた、実在した侍女エリザベス・ウィルソンを主役とした物語です。侍女であるウィルソンの視点で物語が描かれており、メイドとして味わう感情が様々に織り込まれています。

ウィルソンは侍女として、エリザベス・バレットに仕えます。彼女の女主人は病弱で気まぐれでウィルソンは彼女に振り回されますが、次第に心を通わせ、信頼を得ていきます。ところが、エリザベスは詩人ロバート・ブラウニングとイタリアに駆け落ちします。侍女として、ウィルソンは同行し、思わぬ方向へと人生が変わっていきます。

私がこの物語を好きなのは、女主人と使用人の関係性と、使用人の人生が脆いことです。使用人は主人の気まぐれに振り回され、主人から「友」と呼ばれたとしても主人の気分が変われば、「友」として接してもらえません。また、近すぎる関係に陥ると、職業として「労働を提供し、賃金を受け取る」構造が曖昧となり、主人から自覚・無自覚的に利用されてしまうことにもなりかねません。

ウィルソンは若い頃は侍女としての経歴を重ね、しっかりとした道を歩んでいきますが、イタリアに同行したことで知人を失い、侍女としてのキャリアも失い、そして若さも失い、現地で結婚して子供ができても苦労し、引き続き、ブラウニング夫妻の間に生まれた子供のナニーとして役割を果たすなど、大変な苦難に直面します。忠誠心を発揮して報われるのか、報われなかったとしてどこで諦めがつくのか? 女主人にとってウィルソンは「使用人」であって、彼女がどう生きるか、彼女の人生をどう考えるか、と言う視点でウィルソンに親身となる姿は、ほとんど見られませんでした。

侍女としてのエピソードは豊富で、女主人の肌の色に合った服地を選んだり、映えるようなレースをつけたり、自家製の化粧品を用意したりと話題が盛り込まれています。侍女として富裕な階級に仕える反面、趣味が洗練されてしまい、実家に帰るとその生活レベルの差に居心地の悪さを覚える、というのも何とも言えません。侍女は女主人の最も華やかな世界に触れながらも、主人と同じ世界をガラス越しに見る立場でした。

かなり暗い調子となりましたが、侍女の明暗を描き、主人たちの優しさ、都合のよさ、そして残酷さを描いた作品です。同じ侍女の立場では、『荊の城』との比較も面白いかもしれません。