※このテキストはサラ・ウォーターズの小説『荊の城』の感想(2004/08/01と2004/08/28、そして『英国メイドの世界』に掲載したテキストから再構成しています。
サラ・ウォーターズはデビュー作から『荊の城』までの3作で、ヴィクトリア朝を舞台にした作品を書きました。そのすべてに使用人は登場し、存在感を発揮しました。中でも『荊の城』は物語だけではなく、使用人小説としての完成度が優れています。『半身』に続き、『荊の城』は「このミステリーがすごい!〈2005年版〉」海外部門で1位を受賞しました。
ヴィクトリア朝の下層社会で窃盗・盗品売買を稼業とする人々のところで育てられたスリの少女スーザンが主人公です。言葉遣いも乱暴、育ちも良くありません。そんな彼女が同じく、人を騙して生きていく『紳士』に持ちかけられて、あるお屋敷の侍女になってお嬢様モードに仕える、というのが冒頭部分での流れです。(ヴィクトリア朝の下層社会が参考になるような、ディケンズの『オリバー・ツイスト』のフェイギン的な世界観です)
物語はスーザンの一人称で描かれ、彼女の価値観で物を見るので、日の当たらない稼業の彼女がメイドや使用人をどう見ているか、彼らの衣服をどう思っているのかなど、かなり珍しい視点で語られます。
侍女として働くので「侍女の仕事を叩き込まれる」シーンや、実際に侍女となって屋敷に上がり、上級使用人として生活をする風景は『侍女』にも似て、或いはそれ以上に、面白いかもしれません。『侍女』は使用人の視点でしたが、彼女は「部外者」であり、使用人を軽蔑しているような人間です。
しかし、侍女として「仕える」うちに、スーザンはモードに献身的に仕えるようになり、演じているはずが、侍女という役割が、次第にスーザンの心を変えていきました。ミステリとしての要素に加えて感情描写の濃密さや登場人物に引き込まれていく文章は圧巻です。人間はその役割に、物の考え方を縛られてしまう傾向にあります。
こうした心理描写だけではなく、ストーリーは複雑に進行し、上巻は「え?」という驚きの展開で終わり、下巻へと続きます。物語は一気に加速していき、あまりの巧みさに読むことを止められません。メイドさんが好きな人、ヴィクトリア朝が好きな人は十二分に楽しめるのではないかと。前作ほどには、いまのところ「おどろおどろしい雰囲気」はありませんが、物語の完成度・使用人描写は前作以上だと私は思います。
ドラマ化もされ、映像を見なければ想像しにくい背景世界も丁寧に描き、落ち着いた雰囲気の作品になっています。小説も映像もオススメです。