[特集]英国メイドさんガイドブック・ガイド(2005年版)

このページは2005年にコミックス『エマ』が『英國戀物語エマ』としてアニメ化された際に作成した特集をベースとしており、2005年当時に記した紹介文を編集しています。


『エマ』アニメ化を記念して、イギリスに実在したメイドさんや、彼女たちのいた生活を愉しみたい方に向けて、簡単なガイドブックのガイドを作りました。メイドさんを通じてその向こう側にある、ひとつの生活風景を楽しんでいただけたら、と思います。

コミックス・小説・映画・映像・音楽・絵画と、様々なジャンルの名作を、エピソードを交えつつ、ご紹介します。どれかひとつでも、楽しんでいただける作品・資料に出会っていただけたならば、幸いです。

コミックス『エマ』
コミックス『Under the Rose』
小説『荊の城』
小説『アガサ・クリスティー自伝』
文学『我が子ゆえに』
映画『ゴスフォード・パーク』
絵画『ヴィクトリア朝万華鏡』
音楽『メサイア』
英書『NOT IN FRONT OF SERVANTS』
ドキュメンタリー『MANOR HOUSE』
コミックス『エマ ヴィクトリアンガイド』


コミックス『エマ』

言わずと知れた、正統派メイドさんコミックスです。舞台は19世紀イギリス、ヴィクトリア朝。産業革命により飛躍的な経済発展を遂げた時代を背景に、当時の暮らしを丁寧に描いた作品です。

主人公エマは引退したガヴァネス(女家庭教師)ケリーの家で、メイドとして働いています。そこにケリーのかつての教え子であった、上流階級の子弟ウィリアムが訪問し、エマと出会います。ウィリアムは彼女を見初めて、エマもウィリアムに好意を抱き、物語は始まりますが、この恋愛は当時の価値観では、認められないものでした。

イギリスにおいて階級の壁は高く、『エマ』の作中でも有名なディズレーリの小説の言葉を元にした台詞が記されています。メイドであるエマに好意を寄せるウィリアムに対して、父親はこう述べます。

『英国はひとつだが、中にはふたつの国が在るのだよ
すなわち上流階級以上と、そうでないもの』
『このふたつは言葉は通じれども別の国だ』
『エマ』1巻P.184より引用 森薫:作/エンターブレイン刊行

「別の国の住人」であるメイドと結婚することは、社会的地位の喪失に繋がりました。幾多の障害を乗り越え、果たしてふたりは幸せになれるのでしょうか? 忠実に再現された価値観と生活風景が、物語に深みを与えます。筆者の森薫先生のヴィクトリア朝に対する理解が、巻を重ねるごとに深まっています。


コミックス『Under the Rose』(アンダーザローズ)

『エマ』はヴィクトリア朝のメイドと上流階級の子弟を主役としましたが、こちらは広壮な邸宅カントリーハウスを舞台とした、貴族と愛人、その子供たちの愛憎渦巻く世界を描いた力作です。

公爵令嬢を母に持つ少年ライナス。彼女の母は伯爵家の女家庭教師となり、また愛人とも噂されていましたが、その邸宅で自殺しました。伯爵家に引き取られたライナスは、自分自身と周囲とを傷つけながら、母の死の真相を探ろうとして必死に動き回ります。

死の真相と、それに血縁にまつわる不可思議な雰囲気、君臨する貴族の子弟たち、そして彼らに仕え、屋敷で働く使用人たちの姿は丁寧に描かれています。話の筋立てと人物描写に引きこまれる作品です。

これもヴィクトリア朝を舞台としなければ成立しない物語です。2巻ではガヴァネス(女家庭教師)の女性が主人公となり、物語の幅が広がりました。2巻に登場するメイドの子がオススメです。


小説『荊の城』

2004年に『このミステリーがすごい!』「海外作家」で1位を受賞した作品です。筆者のサラ・ウォーターズは前作『半身』でも、2003年の同賞1位を受賞しました。今、日本で最も注目を集める作家のひとりです。

『半身』も『荊の城』も、ヴィクトリア朝を舞台としています。主人公はスリの少女、スーザンです。彼女は人を騙して生きていく『紳士』に持ちかけられて、あるお屋敷の侍女になり、お嬢様に仕え、彼女を騙すのに一役買うことになります。

物語はスーザンの一人称で描かれ、彼女の価値観で物を見るので、日の当たらない稼業の彼女がメイドや使用人をどう見ているか、彼らの衣服をどう思っているのかなど、かなり珍しい視点です。侍女として働くので「侍女の仕事を叩き込まれる」シーンや、実際に侍女となって屋敷に上がり、上級使用人として生活をする風景は面白いです。

スーザンは「部外者」であり、使用人を軽蔑しているような人間ですが、の彼女が「人に仕える『役目』を演じる」ことで、次第に令嬢モードに好意を抱く心理描写は秀逸です。物語はやや長いですが、ラストシーンは見事です。2007年にはドラマ『荊の城』がDVDとして出ています。


小説『アガサ・クリスティ自伝』

アガサ・クリスティは世界的な大作家として知られていますが、彼女がヴィクトリア朝末期の時代に生まれ、その雰囲気を味わっていることは日本ではあまり有名ではありません。『名探偵ポワロ』や『ミス・マープル』には数多く、メイドさんや執事といった使用人たちが出てきます。それは、彼らの姿を描くこと無しに、当時の生活を描けなかったからでしょう。

この文章が、すべてです。

『かりに今わたしが子供だったなら、いちばん寂しく思うのは使用人がいないことだと思う。子供にとって彼らは日々の生活の中でもっともはつらつとした部分なのだ』
『よくいわれているように、彼らは”自分の立場を心得ている”が、立場を心得ているということはけっして卑屈ということではなくて、専門家としての誇りを持っているということなのだ』
(『アガサ・クリスティー自伝』(上)P.58~59より引用)

是非、ご一読下さい。


文学『我が子ゆえに』

イギリスの大作家トマス・ハーディの小説として有名なのは、『エマ ヴィクトリアンガイド』でも取り上げられている『テス』ですが、至高のメイドさん小説ならば、この『我が子ゆえに』(原題:The Son’s Veto)を推薦します。

主人公はメイドのソフィ。彼女は牧師の元で働いていましたが、牧師は彼女に怪我をさせてしまい、そのことに責任を感じ、結婚という選択をします。雇用者と被雇用者の関係、『エマ』のように身分違いの結婚は、牧師にひとつの選択を迫ります。それは、「自身の職業を捨てること」でした。

預かっている「教区」を売り、そのお金で、牧師はソフィを連れて、知り合いのいない街に引っ越します。そうでもしなければ結婚できない、結婚すべきではないと見ていた周囲の人々がいた、社会規範があったという事情が、描かれています。

ソフィの三つ編みに関する描写は、世界一です。


映画『ゴスフォード・パーク』

1930年代のイギリス貴族の屋敷で生じた殺人事件を物語の中心としていますが、本質は人物描写にあります。屋敷の主人である『階段の上』と、彼らに仕える『階段の下』を巧みに描いた、異色作です。

華やかでいわくありげな上流階級の人々が主役になりがちですが、この映画は彼らに仕える使用人たちを丁寧に映し、当時の雰囲気を巧みに再現しています。執事からハウスキーパー、コック、それにメイド。彼らは脇役ではなく、当時の生活を彩る存在として、すべてのシーンに登場します。

屋敷に着いた伯爵夫人は玄関から入り、お供のメイドは荷物と一緒に、「階段の下」から屋敷に入る箇所は、非常に珍しい映像で、秀逸です。

使用人の間にも、「上級」「下級」の区別があるなど、時にエキセントリック、風刺もされた「主人たち以上に階級に厳しい」、使用人同士の関係も目を引きます。使用人同士の食事シーンでは、主人たちの位に応じて、席が決まるのですから……。

特典映像も、過去に執事だった人、メイドだった人が登場し、監督が彼らの経験をどのように映像にしたかが語られていて、興味深いです。そして、「規範や事実をそのまま再現すること」は必ずしも、「映像的には面白くならない」という部分での、歴史と芸術の差も、監督の口から語られています。

【SPQR内の解説詳細:『ゴスフォード・パーク』


絵画『ヴィクトリア朝万華鏡』

ヴィクトリア朝の生活に関心を持ったのをきっかけに、様々な領域に趣味は広げられます。当時の人たちがどんな絵を見ていたのか、どんな画家たちがいたのか。以前は絵画にそれほど興味の無かった私ですが、この本で当時の絵画、描かれた人々に深い関心を抱くようになりました。

19世紀英国の絵画はフランスの印象派ほど華やかではありませんし、世界的に有名でもないかもしれないですが、魅力ある画家たちの絵が、収蔵されています。当時を生きていた人々の姿、衣装が、生活が、そこに展開されています。

この本は単なる絵画の本ではありません。面白いのは、当時を生きた「画家という人々」にも焦点を当て、彼らのエピソードや、当時の社会を説明してくれる点です。表現としての絵画は、社会を映す鏡であり、また人々に何かを伝えようとするメディアでもありました。絵を通じて伝わる、百年前の暮らし。その人生を伝える絵画には、心引かれることと思います。

そして、その時代に存在しなかった風景をも「理想」「美しいもの」として画家が描いた背景も興味深いものです。

【SPQR内の解説詳細:『ヴィクトリア朝万華鏡』


音楽『メサイア』

隠しネタ、多分本邦初です。

音楽にはそれほど詳しくありませんが、イギリスの有名な音楽家の一人といえば、ヘンデルがいます。ヘンデルその人は1759年に逝去しており、ヴィクトリア朝には関係ありませんが、彼が作曲した『メサイア』に、メイドさんにまつわるエピソードがあったのです。

18世紀のロンドンでは、年間1000人以上の赤子が捨て子となっていました。『Foundling Hospital』はそうした孤児を引き取り、教育を受けさせました。育った子供のうち何人かはメイドとして勤めに出ましたが、この施設の運営費として、ヘンデルは『メサイア』の収益金の一部を寄附していたのです。「メイドさんを育てた音楽」と言えるかもしれません。

ハイドン以外では、主唱者のトーマス・コーラム、それに様々な絵画で名高いウィリアム・ホガースが協力していました。

尚、この情報はイギリスに旅行した際、ホテルに置いてあった『The Foundling Museum』のパンフレットに基づいています。帽子にエプロン姿の少女たちの白黒写真が気になって手にしました。

また、もし万が一、『メサイア』作曲の瞬間についてのエピソードをお読みになりたい方がいましたら、シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』をご覧下さい。

ドストエフスキーやトルストイが好きな人にもオススメできる短編が入っていて、とても素晴らしい本です。そして、2005年、私はこのFoundling Hospitalに訪問し、中でメサイアを聞いてきました。(リンク先の下の方のページ)


英書『NOT IN FRONT OF SERVANTS』

メイド資料本『ヴィクトリアン・サーヴァント』という名著がありますが、その双璧として位置づけられるのが、同書です。珍しいことに、この手の本としては参考資料が少ないです。逆にこの本を参考にした本は数多いです。それだけ、この本にしかない情報を数多く掲載しているのです。

その理由は、筆者のスタンスにあります。BBCラジオの製作現場にいた人らしく、本当に数多くの「使用人として働いていた人々」からの投稿・情報に基づいた構成をしており、ネタの宝庫です。「メイドの制服」についても1章を丸々割いており、その点でも他の本には無い貴重さがあります。


ドキュメンタリー『MANOR HOUSE』

久我がメイドジャンルに存在したことに意味があるならば、この『MANOR HOUSE』を紹介したことで、その役割を全うしたと言えるかも知れません。空前絶後、これ以上に面白い映像資料が存在するのかと言えるほど、メイドや屋敷に関心を持つ人ならば、随喜の涙を流せる、素晴らしいドキュメンタリーです。

日本版でDVDが発売されるまでの間、私が確認した範囲では20名以上の方が、私の紹介したアフィリエイトで英語版DVDを買ってくださっています。

このドキュメンタリーは、現代に残る屋敷を舞台に、20世紀初頭のエドワード朝の生活様式を再現します。オーディションを通過した人々が、3ヶ月、当時のルールに従い、生活をします。生活を楽しむ主人だけではなく、彼らに仕える使用人役も、普通の人々なのです。役に徹していく人々の姿、再現される人間関係、上級使用人と下級使用人の間の緊張、辛くて逃げ出すメイド……

眼鏡をかけたメイド「リアル・エマ」さん(勝手な命名)が登場するなど、見所は盛りだくさんです。

【SPQR内の解説詳細:『MANOR HOUSE』(マナーハウス)


『エマ ヴィクトリアンガイド』

注:この文章は2003/11/26の日記を再編集したものです。

『エマ』3巻と、『ヴィクトリアン・ガイド』を読みました。ガイドはコミックスと同じ大きさだったので、少し意外でしたが、書店売りのスペースを考えると、妥当ですね。一部の構成は、以前日記で予想した「『ヴィクトリア朝百科事典』に森薫さんのイラスト」という予想通りの物でしたが、内容は予想以上でした。

数年前、同人誌を作っていなかった頃ならば「こんな便利な本があるんだったら、同人誌を作らなかったよ」と思ったかもしれません。実際は自分の興味対象・関心分野と異なる物も多いので、作っていたでしょうが、自分が書けない部分や、作ろうと思って整理できない部分も書いてありました。

書かれている文章から、だいたい、どの本を参考にしているかもわかるぐらいの深淵に落ち込んでいるので、「この本から得る新しい知識」は、自分にとってほとんどありません。しかし、「整理されて読みやすく、わかりやすくなっていること」、森さんの絵が楽しませてくれる点で、有り難い物です。ロンドン市内のマップとガイドも、素敵です。

「何も原作を知らない人にも推薦できる」資料に仕上げ、さらに言えば、「この分野のどの研究書よりも読者に優しく、値段も安く、最高の一冊」になっていると思います。

【SPQR内の解説詳細:『エマ ヴィクトリアンガイド』


以上、どれかひとつでも、心に残るような作品をご紹介できていれば、幸いです。そして、アニメ版『エマ』の成功を、願っております。