19世紀イギリスを代表する文豪ディケンズの小説『リトル・ドリット』をBBCが映像化した作品です。主人公であるアーサー・クレナムは中流階級の男性で、中国から帰国し、父の死を母に告げます。父の死の話を聞いた母の様子に疑念を抱いたアーサーは、過去に何があったのかを調べようとします。
その途上でアーサーは母の家で働く女性、エイミー(リトル・ドリット)に出会います。
物語はディケンズの作品らしく、多くの登場人物が登場し、物語は並行していきます。中心となる題材は「主人公クレナム家の過去の秘密を巡る話」と、「ヒロインのドリット一族の出自」、そして「拝金主義的な当時の金持ちとスノッブな上流階級」です。構造的には謎が縦糸、「お金を巡る人々の態度や境遇の変化」が横糸といえます。
久我は原作を知っていたのと、短い期間で集中してドラマを見たので、その長さが少し耐えられなくなりました。毎週1話ぐらいが良い感じです。衣装やセットや雰囲気は重厚に作られえていますし、脚本も人間関係や結婚観、財産を巡る態度の変化といった原作の要素をしっかりと再現しつつ、謎に関してはディケンズの文体では若干伝わりにくかったかもしれない「サスペンス」な雰囲気を漂わせています。
個人的に素晴らしいと思うのは、舞台となる風景の多さです。船の上、ロンドン市内、監獄、海辺、田園、労働者たちの長屋、裕福な大家の飾られた家、上流階級のディナーや豪奢な応接間、そして海外の観光地。これほど多様な世界を描けるのも、ディケンズの作品が上流階級から労働者階級までを、「人間」として描き出すからでしょうし、ヴィクトリア朝の雰囲気が好きな方には適した作品です。
**債務者監獄
リトル・ドリットの父ウィリアムは債務者監獄に住んでいました。借金で監獄へ収容されていたためです。債務者監獄は19世紀英国文学で欠かせない存在の一つです。
19世紀、事業の失敗や破産は個人の責任として厳しく追及される規範意識があり、債権者は債務者の家財を売り払いました。債権者は債務者を債務者監獄へ、借金の返済を行うまで拘留することさえ可能でした。ジョージ朝とヴィクトリア朝でこの習慣は続き、債務者の監獄収容が廃止されたのは1869年でした。(『19世紀のロンドンはどんな匂いがしたのだろう』P.132-141に解説があります)
法的な保護やリスク分散の株式などの制度が整っていなかった時代、個人の破産は多くの人に迷惑をかけました。借金の責任範囲は無限に近く、取り立てをしなければ関係する人々も連鎖で破滅しかねませんでした。リトル・ドリットの父ウィリアムはこの中のひとりでした。
人物が多く物語が分かりにくいので簡単に構造をまとめておきます。
クレナム家:中流階級
主人公のアーサーは父親と死別し、帰国します。帰国後はエイミーに興味を持ちつつ、父と母の過去を調べていきます。また、その途上で出会ったダニエル・ドイスと共同事業を興します。
ドリット一族:労働者階級へ
父ウィリアムは債務者監獄に長く住み、顔役のような存在になっています。息子エドワードと娘にファニー、エイミーがいます。エドワードは生活能力がなく、ファニーは劇場で踊り子をしています。監獄にはウィリアムの弟フレデリックもいます。
ディケンズの作品らしく、それぞれの登場人物が人格的に問題があり、まともなのはエイミーとフレデリックだけです。
ミーグルズ家:中流階級
クレナムが中国からの帰路に出会った中流階級の人たちで、娘のペットとアーサーは良い雰囲気になります。侍女のタティーコラムがペットの恵まれた境遇に嫉妬し、旅の途上で出会った謎の女性ウェイドの元へ出奔します。
スパークラー家:上流階級
銀行家で社交界の重鎮だったマードル氏一家です。息子のエドマンドはリトル・ドリットの姉ファニーとの結婚を企図しますが、財産の差で夫人から強い反対を受けます。マードル氏は実在した鉄道王ジョージ・ハドソンをモデルにしていると言われ、その運命はハドソンと同じ道を辿ります。鉄道バブルや投資事業などに狂奔する時代背景があって、ディケンズの世界は成立しています。