[参考資料]『おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想』

最高の「屋敷の仕事」と長く仕える主従を描く一冊

『おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想』は、アスター家のナンシー・アスター夫人に35年に渡って仕えた侍女ロジーナ・ハリソンの自伝です。大富豪の家政をここまで長期間、並びに克明に描いた自伝はあまり例がなく、稀有な情報であふれています。

多くの場合、家事使用人は「転職」を繰り返します。より良い職場(家柄、財産規模)で働くには経験や前職からの紹介状が必要であり、また待遇が良い職種・経験が必要な職種が常に空いているとは限らないため、外部に機会を求めることになるからです。

この点、多くの家事使用人の自伝は「様々な職場遍歴」であふれています。長く勤めることができる良い境遇を得られる人は少ないものでした。また、あまりに長く勤めすぎる人は「自伝」といった形で外部に情報を出さない傾向もあるように、個人的には思えます。

※2010年出版の『英国メイドの世界』(講談社)では、p.622で同書の英語版『ROSE: MY LIFE IN SERVICE』を紹介しました。この時点では翻訳されておりませんでした。

最高のキャリアに母の手助けあり

ロジーナ・ハリソンは、キャリアのスタートから特殊で、彼女は最初から上級使用人である「侍女」として必要な「被服のスキル」や「フランス語」を身につけてスタートできました。他のメイドは多くの場合、こうした「必要なスキル」を持たず、仕事の中でなんとか身につけていくことになります。

幸運なことにロジーナの母は「屋敷勤めの経験があるランドリーメイド」で、「メイドとして、どのようない経験を積めば、良い待遇に就けるか」を熟知していました。そして、「侍女」になるために必要なトレーニングを娘に受けさせる機会を整えました。

家計を助けるためにハウスメイドやキッチンメイドとして奉公しながら学ぶことで、家計の負荷を下げたいという娘の言葉を却下して、です。ロジーナは学校に通いながらフランス語の個人授業を受け、学校卒業後、洋裁店で見習いを勤めて、フランス語・被服スキルという侍女に求められる経験を得てから就職に臨めました。

そして、その選択は正しいものでした。18歳になるとロジーナは再び母の戦略に基づき、いきなり「女主人付きの侍女」を目指さず、「お嬢様付きの侍女」という少しハードルが下がる職種への応募を行い、成功します。

その後、彼女は経験を重ねて女主人に仕える侍女となり、そしてナンシー・アスター夫人と出会うことになります。

侍女が描き出す華やかな暮らしと同僚たち

冒頭で説明したように、本書は上流階級の生活を間近で見られる「侍女」の立場として書かれたものであり、雇用主の人となりやその生活様式を知ることができます。日常生活から社交の場まで、家事使用人の目線で追体験できるのです。

さらに本書が優れているのは、優れた同僚たちとの出会いやエピソードがあることです。アスター家には優秀な執事エドウィン・リーや、彼の薫陶を受けたチャールズ・ディーンほか、様々な男性使用人たちもいました。その彼らの在り方や仕事への取り組み方は、侍女の視点を超えて、屋敷で働く使用人の仕事を知ることができます。ロジーナのこの自伝の成功後に、彼らによる自伝『わたしはこうして執事になった』も出版されます。

侍女と女主人の35年間

正直なところ、ナンシー・アスター夫人はエキセントリックなところがあり、人を試すような意地悪を行うところもありました。スケジュール管理もめちゃくちゃで、執事が困ることも一度ではありません。

侍女ローズも、当初、この女主人に相当苦しめられました。何をしても否定されるような、まさにブラック企業の上司のような「自己否定」をされたと言えます。ところが、ある瞬間にロジーナは、こうした女主人の振る舞いに振り回されることから自分を取り戻しました。

彼女の振る舞いが、理想のメイドにロジーナを造り変えようとするものであり、ロジーナはそれに屈しない道を選びました。ここに、女主人に対しても、はっきりと物を言う・悪口を言い合える「女主人と侍女」の関係が誕生します。

もしもそうした「物言う侍女の態度」が気に入らなければ、女主人は解雇したでしょう。しかし、解雇しないまま、最後には「私の元を離れないと約束しなさい」とまで言わせる関係になりました。

多くの自伝は、いわゆる「生存バイアス」があり、絶対視することはできません。何かしら成功したことが語られるため、成功していない膨大な事例が埋もれている可能性が極めて高いからです。それでも、ロジーナの話は、「一人の女主人に寄り添って長年にわたって生きる」「その屋敷には、一緒に長く働く信頼できる同僚がいた」ことを描き出す点で、他の自伝にない魅力を備えています。

語り手としてのロジーナが優れていることは、言うまでもありません。

未読の方は、是非、この機会にお読みください。