『金色の嘘』は、ヘンリー・ジェイムズ『金色の盃』をジェームズ・アイヴォリー監督が映画化した作品です。アメリカ人の大富豪で美術収集家アダム・ヴァーヴァーの娘マギーと金のために結婚したイタリア貴族・アメリーゴ公爵と、公爵の元恋人シャーロットがアダムと結婚し、複雑な関係へと陥るものです。
貴族が領地を維持する金のために恋人と別れ、富豪の娘と結婚することは題材のひとつとして珍しくありません。そこに「アメリカという伝統がない国の大富豪」が、「美術品も買い集める」という設定が、20世紀初頭のこの時代を映しているでしょう。
端的に言えば、富豪の父と娘が非常に仲がよく、娘の夫と父の妻が入り込む余地が無いほどで、ふたりの元の恋人達は親密な時間を作り始める…そんな話です。
舞台はヴィクトリア朝のすぐ後の10年間程度の、ヴィクトリア朝の道徳観から少し解放されたエドワード朝を舞台にしています。60年以上続いたヴィクトリア朝は多様な価値観が成立し、同調圧力や強い道徳観があり、性に対しても社会から厳しいまなざしが向けられましたが、売春やポルノが隆盛するなど矛盾をはらんでもいます。
在位が長すぎたヴィクトリア女王の死後、後を継いだのは享楽的なエドワード7世でした。ヴィクトリア朝を太陽とすれば、エドワード朝は日没後の残照で輝く月のような存在で、私は個人的にこの時代の空気を好んでいます。
この時代は馬車と車がいい具合に並存しており、街並みも明るく、女性の衣服もヴィクトリア朝より装いが軽く、また社交界を十二分に楽しめるようになっているようです。『名探偵ポワロ』まで進むと袖の無い服を着ている女性を多く見ますが、その過渡期なのでしょうね。
ヴィクトリア朝と違ってか、ヒロインが非常に大胆で行動的です。街でも身なりのいい男女が別れを惜しみ、抱き合っている描写があったりします。自分が求めていた貴族像はこの時代なのかなぁなんて思ったりもします。
ユマ・サーマン、ジェレミー・ノーザム、ケイト・ベッキンセールとキャストはものすごいのですが、個人的には映像的が美しかったと思うものの、あまり印象に残っていません。劇場で一度しか見なかったので、見直すと違うかもしれません。