[参考資料]『パリ・ロンドン放浪記』

『動物農場』『1984』で知られるオーウェルのデビュー作です。ジャック・ロンドンの『どん底の人びと』の刊行から四半世紀後、第一次世界大戦後のパリとロンドンでの貧しい人々の暮らしを描きました。1920年代になっても、ジャック・ロンドンの描いた問題は解決していませんでした。

特筆すべきは、その窮乏した暮らしの渦中にオーウェルがいることです。彼は自分を書いています。金に不自由し、周囲にいる人々と同じ生活レベルで暮らしました。ロンドンにとって貧困は「ある種の、体験」でしたが、オーウェルにとってそれは3年に渡って続いた「生活」でした。

とにかく、描写が秀逸です。パリ滞在中のオーウェルは英語の家庭教師をしていたものの仕事を失い、どんどん困窮していきます。下宿には一風変わった人々が暮らしていて、エピソードが満載です。

質屋の世話になった後、知人の紹介でホテルのキッチンでオーウェルは皿洗いとして働き始めます。そこに描き出されたキッチンの内幕は、絶対に料理を食べたくない、と思えるようなリアルで満ち溢れています。独自の人間関係、上下関係やお金を巡りやり取り、人びとの態度などは大変とは思いつつ、オーウェルに悲壮さや絶望感が無いので、からっとしたラテンな雰囲気があります。

そして自身に訪れた変化も、感じます。1日17時間に及ぶ長時間労働の中、オーウェルはこんなことを書いています。

ある夜、深夜になって、私の窓のすぐ下で殺人があった。ものすごい叫び声に目をさまして窓際へ行ってみると、男が一人、下の舗道に這いつくばっている。道路の突き当たりを人殺しが三人、飛ぶように逃げていくのが見えた。(中略)しかし、いま考えてみて驚くのは、その殺人があって散文とたたないうちに、自分がベッドに入って眠っていたということだ。その辺の人間はたいていそうだった。われわれは男がもうだめなのを確かめると、すぐに寝てしまったのである。こっちは働いているのだから、殺人事件くらいで眠りを犠牲にしても意味がないのだった。
(『パリ・ロンドン放浪記』P.102)

著しい疲労や環境が、価値観を変えました。しかしオーウェルが疲弊した肉体で目の前だけを見ていただけではありません。

彼は皿洗いの経験をすることで、そこから「なぜこの辛い仕事が存続していくのか」、理由を考えます。皿洗いは現代の奴隷であり、給与はわずか、休暇は解雇されたときだけ、結婚も出来ない、生活からも逃げられないと。そして忙しすぎるので思考が停止し、日々を繰り返し、待遇の改善を勝ち得るストライキをしないのだと、「考えないこと」が彼らを奴隷にしたのだと。

そして、この奴隷制度が続く目的として、その仕事が必要とされるからではなく、彼の洞察は、長時間の労働を強いる裕福な人びとと、その環境を放置する「知識人」へ向けられます。

無益な仕事を永続的なものにしようとするこの本能の根本には、要するに、大衆にたいする恐怖心があるのではなかろうか。(中略)彼は結局、もし暇をあたえれば危険な存在になりかねないという漠然たる不安のために、いつまでも働かされているのだ。そして当然彼らの味方になっていいはずの知識人は、皿洗いのことを何も知らず、したがって怖いものだから、黙っているのだ。わたしが皿洗いについてこんなことを言うのは、その生活について考えたからであり、それはおそらく他の労働者にも当てはまるからである。
(『パリ・ロンドン放浪記』P.155,162)

これを個人の見解であり、陳腐な意見かもしれないとしつつも、オーウェルは自身が過酷な労働条件を味わうことで、「労働者階級」を奴隷の境遇にする人々が抱く「不信の念」を感じました。

パリを出た後、彼はイギリスへ帰国し、ジャック・ロンドン同様にさまよい、寝床を求めて歩き続けます。逃げ場所はありませんので、他の定住先を持たない人びとと同様、オーウェルは放浪し、救貧院の世話になります。逃れえぬ貧困に陥った人びとの境遇には、暗さがあります。

出会う人々は独自の価値観で生きていて、単なる同情をしていませんが、「こういう現実がある」と自分が見て、体験した世界をオーウェルは言葉にしました。(『カタロニア賛歌』もそんな雰囲気)

余談ですが、オーウェルはフランスのホテルで仕事をしているとき、ある客人が果物を欲したものの無かったので、ホテルの従業員が近所の商店のガラス窓を割って失敬したとのエピソードを書きました。その客人こそ、2代目ウェストミンスター公爵だったようで、オーウェルが公爵のパーティーで「果物を調達した従業員は私だった」と言ったとのエピソードを、公爵の伝記で読んだ気がします。(ちょっと記憶が曖昧なので原典見つけたら修正します)