本テキストは2003年刊行の同人誌『ヴィクトリア朝の暮らし3巻 貴族と使用人(二)において考察した「パーラーメイドの仕事に屋敷案内は含まれるか」を発展させたものです。
パーラーメイドと屋敷案内と『図解メイド』として2008年06月14日でも考察を行い、同人版『英国メイドの世界』(2008年)にアレンジして掲載しました。講談社版『英国メイドの世界』(2010年)では「独自見解」を含むので掲載を見送りましたが、もったいないので一部書き直しを行い、ウェブでの公開を始めました。
目次
- はじめに
- 映画や文学に見られる「屋敷案内」
- 屋敷観光とコンテンツ・ツーリズム
- 屋敷案内はハウスキーパーの仕事
- パーラーメイドを雇用する家に見学者が来たのか?
- まとめ
文中で参考にした主なテキスト
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はじめに
パーラーメイドの仕事を『英国メイドの世界』で解説しましたように、パーラーメイド独自の仕事というものはほとんどありません。給仕と取次ぎはフットマンの延長に過ぎず、掃除に関してもハウスメイドとまったく同じ仕事でした。待遇や扱う品物の違いも、ヘッド・ハウスメイドの境遇に相似しています。
2003年に「パーラーメイドにオリジナルの要素が少ないので他に仕事がないのか」といろいろ調べたところ、「屋敷案内」をしたのではないかという仮説が生まれました。これが事実かを裏付ける資料を探し、調査したのがこのテキストとなります。
映画や文学に見られる「屋敷案内」
そもそも、「屋敷案内」とは、どんなものなのでしょうか? 「屋敷案内」は英国の幾つかの小説で登場しますし、実際に行われた出来事です。
この出来事を含む著名な小説は2つあります。ひとつはジェーン・オースティンの『高慢と偏見』で、カントリーハウスの内部を部外者に見学させる描写があります。主人公のエリザベスは叔父夫婦に伴われ、彼女に結婚を申し込んだダーシー氏の屋敷を見学する機会を得ます。こで彼女たちは、不在のダーシー氏に代わって屋敷を案内するハウスキーパーから、主人を賛辞する様々の言葉を聞くことになります。
イギリスでは屋敷を見学する「観光」が行われていました。現在も英国ナショナルトラストが保存する優雅な屋敷への観光は盛んに行われており、屋敷は一大観光資源となっています。現実離れした豪奢な屋敷そのものと、その広大な庭園は、旅行者にとって(勿論ある程度の階級の人々に限られたでしょうが)興味深い「観光地」でした。
カントリーハウスには多くの美術品が集められ(子弟のヨーロッパ留学・グランドツアーを通じて)、美術館のような状況でした。有名な画家の絵画や壁画、ローマ時代の彫像なども飾られ、多くの人を魅了する美術品に恵まれていました。
屋敷観光とコンテンツ・ツーリズム
『The Polite Tourist: Four Centuries of Country House Visiting』という英書があります。これはカントリーハウスを訪問した旅行者を専門的に扱った、珍しい(もしかすると唯一の)資料です。この本によれば、16世紀には既に屋敷訪問の萌芽があり、元々はキリスト教徒による聖地・教会の巡礼を起源とする、というのです。当時、ガイドブックも存在し、聖人の骨や遺物も巡礼の対象となりました。
巡礼を屋敷への観光へと転化させたのは、エリザベス一世の治世です。女王自身が家臣の屋敷を訪問することが多く、その結果、屋敷は建物と内部を飾り立て、女王を歓待するようにもなりました。王宮も海外から訪問する貴族に解放され、見学が許されました。
屋敷への訪問が加熱した18世紀には、年間で300人以上の客人を迎える羽目になったカントリーハウスもました。その結果、次第に「時間帯」「曜日」「季節」の制限を加えて、自分たちの生活を守ろうと規制していく動きも始まりました。しかし、この対応をしたのはパーラーメイドではなく、ハウスキーパーでした。
イギリスでは文学と観光を組み合わせた「コンテンツ・ツーリズム」も発展しました。日本でも最近名前が知られてきているかもしれませんが、アニメやドラマ、小説などの舞台を訪問する「聖地巡礼」との言葉に代表されるものです。
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18世紀には小説家Horace Walpoleが自身のゴシック小説をモデルに建てたStrawberry Hillが観光地として有名でしたが、19世紀にはツーリズムと出版と結びつき、ディケンズやサッカレーといった作家たちの作品をイメージさせる舞台を探訪する観光も生まれました。(日本ヴィクトリア朝文化研究学会第10回全国大会の参加・感想に若干記載)
屋敷案内はハウスキーパーの仕事
ハウスキーパーは主人が不在の折には留守を預かりましたが、屋敷内部の観光を許可し、手数料を得ることができました。文学でも、この屋敷見学・案内の描写がたびたび登場します。『高慢と偏見』に加えてもう一つの著名な作品は、ヴィクトリア朝の国民作家であるディケンズの小説『荒涼館』です。屋敷を訪問してきた客人の応対に出たのは、その屋敷のハウスキーパー、ミセス・ラウンスウェルでした。
『The Polite Tourist: Four Centuries of Country House Visiting』の表紙に屋敷案内をする人の姿があり、この絵画のタイトルには「ハウスキーパー」の文字がありました。さらに内部に掲載された肖像画にも、「屋敷のガイドブックを持つ有名なハウスキーパー」が描かれていて、案内人として質の高いハウスキーパーは絵になるほどの存在感を持ちました。
こうした訪問を受け入れることで、ハウスキーパーたちは多額の見物料を得ました。その金額は意外なほど大きく、Horace Walpoleが建てたStrawberry Hillではハウスキーパーが得る、「ハウスキーパーと結婚すれば、建築に費やした金が取り戻せる」と冗談めかしたほどでした(『英国メイドの世界』P.546-547)。
外部からの観光客ではなく、屋敷に滞在するゲストたちに屋敷を案内することもあったでしょう。エドワード朝を舞台にした映画『金色の盃』では女主人自らが屋敷の美術品を紹介する役目を果たしました。
女主人や上級使用人として忙しいハウスキーパーが、常にゲストの対応をできたのかは疑問の余地があります。メイドがその代理をしても不思議はなかったのですが、それがパーラーメイドだった可能性はあります。パーラーメイドが役割を代用したフットマンが、この仕事をした事例があるからです。
執事Charles Cooperはフットマンだった頃、紹介状を持って訪問したゲストに屋敷が所有する絵画を鑑賞させる仕事をしました。応対に出る仕事の使用人ならば、窓口は誰でもよいのです。(『英国メイドの世界』P.535-536)
パーラーメイドを雇用する家に見学者が来たのか?
パーラーメイド自体は比較的新しい時代に登場した使用人です。彼女たちが登場した時代にも屋敷見物は続いていましたが、パーラーメイドのマニュアルにもパーラーメイド経験者のコメントにも、屋敷案内のエピソードは出てきていません。
そもそも高額な費用がかかるフットマンの「代替」として雇用されたパーラーメイドの職場は、観光するにふさわしい屋敷や美術品を所持していたのかは、大きな疑問の余地が残ります。それほど立派な屋敷を所有する経済力があるならば、フットマンを雇い、パーラーメイドを必要としなかったと考えられるからです。
もちろん、屋敷を所有するものの経済事情が厳しく、高すぎる人件費や採用事情の難しさでフットマンを雇えず、パーラーメイドで代替した屋敷もありましたので、「絶対にしなかった」とは言い切れませんが、大きな屋敷とパーラーメイドは本来的には矛盾する存在でした。
なお、屋敷には観光地として他に「庭園」が存在します。こちらの観光も屋敷によっては可能でしたが、案内役はガーデナーが勤めました。(『英国メイドの世界』P.443-444)
まとめ
以上のように、屋敷を観光する行動自体は存在しつつも、表に出て案内をしていたのはハウスキーパーだったことが分かりました。さらに応対役のフットマンがいるような屋敷では、彼らがその対応を行いました。あくまでも今入手可能な資料によるもので、フットマンを雇えない家庭(第一次世界大戦後は経済的事情で上流階級でも起こり得ます)ではパーラーメイドを使った可能性がないとは言えない、といところです。
この屋敷案内の仕事を『英国メイドの世界』「パーラーメイド」の仕事に含められなかったのも、こうした曖昧さが残る点からでした。個人的にはとても案内して欲しいのですが。