[コラム]日本におけるメイド受容とメイドの魅力(学会会報へ寄稿)

日本ヴィクトリア朝文化研究学会の会報vol.9に、寄稿したコラム「日本におけるメイド受容とメイドの魅力」を転載します。「日本のサブカルチャーにおけるヴィクトリアニズム:なぜメイドがウケルのか?」という表題を学会からいただき、寄稿したテキストです。

詳細は、2010年の[ニュース]日本ヴィクトリア朝文化研究学会の会報にコラム掲載をご参照ください。

執筆日:2010年3月頃
公開日:2017年10月28日


誌上討論:日本のサブカルチャーにおけるヴィクトリアニズム――なぜメイドがウケルのか?
日本におけるメイド受容とメイドの魅力

久我真樹

1:日本のメイド像

 メイドはヴィクトリア朝当時最も多く存在した女性労働者で、必ずしも恵まれた待遇にありません。その職業が日本でメイド喫茶やコミックス『エマ』のように幅広い層へ関心を持たれる状況は不思議かもしれません。
 私自身は「なぜメイドがブームになったのか」を明確に把握していませんので、「誰がメイドに興味を持っているのか」を、当事者として見てきた風景を通じてお伝えします。
 私は英国貴族の屋敷の暮らしに興味を持ち、調べる途上に歴史上の働くメイドを知り、その世界の深さに圧倒されました。当時はこの分野の資料が日本で不足していたので英書を取り寄せて学び、調べた成果を共有しようと、同人誌の形で発表してきました。
 私が参加する同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)をメイドの受け手の関心を示す一つの場とすれば、当初その場で頒布された同人誌は「実在するカフェ/レストランの制服」を扱った本が主流を占め、メイド服はその中に含まれました。
 さらに、メイドのクラシカルなメイドは、制服ジャンルの中の一部でした。ヴィクトリア朝メイドのコミックス『エマ』の森薫先生が同人出身であることや、初期にメイドの歴史研究を行った同人サークルの名称が『制服学部メイドさん学科』であることは、制服の中にヴィクトリア朝メイドが含まれた時代(2000年以前)を示す一例となります。

2:女性の支持と、顕在層を目覚めさせた繋がり

 主役は制服でした。メイドブームに繋がるメイドへの関心の高まりは1990年代の男性向けPCゲームが指摘されますが(*1~2)、なぜ制服が流行したかは、最も知りたいところだと思いますが、私自身、明確に把握していません。
 そこで私が出会ったメイドへ関心を持つ方々の姿を伝えることで、私が知る「今のメイド像の一部」を描きます。
 コミケで出会う方々から私の同人誌に関心を持った経緯をうかがうと、英文学を専攻した、英国旅行で見た屋敷に興味があった、コスプレの参考にしたい、創作に使いたい、メイド/執事喫茶の常連、『エマ』が好きなど興味の幅は多様でした。
 参加を続ける中で何より興味を引いたのは、女性の増加です。私が2002年に初めてコミケで出会った方のほとんどが男性でしたが、今現在、男女比は5:5になりました。また、メイド喫茶の客層には一定の女性が存在し、男性同様、メイド喫茶を楽しむ女性がいます。
 観測者の私が歴史的メイドを扱う立場から、集まる情報の偏りを前提としつつ、メイドを好まれる方々にお話を伺うと、「メイド服のひらひらしたエプロンやシンプルなワンピース」のデザイン性の魅力(人形との類似を指摘する方もあり)や、メイド服の非日常性や、働く姿や立ち居振る舞いを目にするメイド喫茶の店舗を好むと回答を得ました。
 また、メイドを好む土台として、子供の頃に読んだ少女マンガで描かれたお屋敷やメイドに接した方や、アニメ(宮崎駿監督作品や『小公女』『小公子』などの世界名作劇場)の19世紀的服装・世界観の影響を話された方もいます。私自身、言われてみると、世界名作劇場は大好きで、そこで描かれる生活の温度や服装を好む下地があったと思います。
 日本にはこれら文化に接した層に加えて、元々、イギリス文化を好む土壌が存在します。英文学や古き良き時代を代表するドラマの数々(NHK放送『シャーロック・ホームズの冒険』『高慢と偏見』)、切り裂きジャックや吸血鬼などのゴシック小説、そして最近はヴィクトリア女王の映画がありました。(私見ですが、日本で表現されるメイド像は、ヴィクトリア朝に登場して普遍化した吸血鬼像の受容に類似するように感じます)
 『エマ』や貴族の屋敷を舞台とする『Under the Rose』のような力を持った作品は、ゼロからメイドの受容者を増やした上で、元々存在した層の一部をメイド受容者として顕在化させ、さらにはメイド受容者をヴィクトリア朝的要素へ関心を持たせる力を持つ懸け橋となったと私は考えます。
 今後、こちらはもう少し詳しく調べるつもりです。

3:見る人で姿が異なることがメイドの魅力

 私は、屋敷と貴族を軸にメイドを見たので当初は主従関係に興味を持ちました。しかし、調べるうちに多くのメイドが転職を繰り返したのを知り、転職を経験した立場として共感を持ちました。さらにメイドの手記を読んで自分の仕事と向き合って悩んでいる姿を知ったり、上司と部下の間で苦労した使用人のマネジメント能力に目が向いたりしました。働く立場や考え方の変化に応じて、メイドを見る目は変わりました。
 秋葉原やメイド喫茶の文脈、制服のデザイン性といった要素は確かに人目を引き、主要な魅力となっていますが、ヴィクトリア朝への関心や家事に従事した側面やキャリアを築いていった生き方など、多くの文脈でメイドは語ることができます。
 観測者によって見る姿が異なる。その上で共通の文法として成立する。多様性と包容力が日本に登場したメイドの曖昧性と魅力だと私は思いますし、時代や立場によって認識や評価が異なる点で、ヴィクトリア朝の持つ魅力に似ています。
 完全な回答には程遠いですが、私の認識するメイド像や物の見方が何かしらの参考となれば、幸いです。

*1/wikipedia:メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89

*2/メイドさん=スパゲティ理論 或いは「メイド喫茶」批判再考
http://maideriapress.web.fc2.com/texts/txt12.html