[コラム]花として、メイドさんが在るということ(2005年執筆)

※本コラムは、2005年に参加した、きっしーさん(貴島吉志さん)によるメイド同人誌M.O.E -MAID OF EXPRESS-に寄稿したものです。12年が経過したので、足元を再確認する意味で、ウェブ公開します。懐かしいです。

執筆日:2005年2月1日
公開日:2017年10月28日

表紙:参加作家さんの合同
裏表紙:神奈江淳さん


はじめに

 「メイドさん」というジャンルは、様々な形で展開しています。新聞でも「メイド喫茶」や『エマ』が取り上げられましたし、『エマ』はアニメ化されます。そして、メイドさんを登場させる創作は増え続けています。
 メイドさんに関する資料本を作る立場として、こうした動向をコラムにしようと思いましたのも、ジャンル内でも温度差があり、必ずしも同一ではないことを理解したかったからです。

 ジャンルに存在する流れを大まかに分類すれば、以下の三種類に集約されると思います。

1:「制服」としての存在
2:「役割」としての存在
3:「そのまま」の存在

 この三つの違いは何か、わかりやすく理解できないものかと思い、試行錯誤の末、ひとつの見方を作りました。

 それが、「花=メイドさん」という視点です。

 本コラムは、これら分類の優劣を語るものでは無く、どのような違いがあるかを考えることにあります。

1:制服~花の形を愛する~

 メイド・コスプレやメイド喫茶のような、「メイドの制服を着ている人=メイドさん」とする、「象徴」としての姿です。
 メイド服を着たその人に美しさを見出すこと、それは「花の姿・形」を愛好する形です。
 メイドの制服を着るだけでコスプレは成立します。黒い服、ピンクの服。ミニスカート、長いスカート。過去にあった実際の姿を模倣するか、そこから離れるか。
 その花がどのような茎や枝葉を持つか、また花が自然か人工かに関係なく、多種多様な制服のスタイルが、その花の形そのものを愛する姿と、重なって見えます。

2:役割としての世界~生け花~

 「主人への奉仕・献身という関係性」を主眼に、コミックスやアニメなどの創作において、役割や存在感・キャラクター性を与えられたメイドさんです。
 現代日本を舞台にした物語や小説、創作の上で存在させることは、メイドという職業の姿で「切り取られた」花、「生け花」と見ることができます。
 「制服を着たメイドさん」を「花」とするならば、奉仕・献身など実際の職業が持った関係性や存在理由に関わるものは、「枝葉」と考えられます。
 生け花では自然の花・枝葉をアレンジして、根から切り取り、剣山や花瓶に飾ります。和室に異国の花を飾り、その美を楽しむ形が、この形の創作の特徴といえます。
 花だけではなく、花を飾る器や場所をそれぞれの創作者が用意しなければなりません。
 メイド喫茶も、この一種として見ることができます。

3:すべてそのままに~温室の花~

 『エマ』『アンダーザロース』に代表される、実在した時代背景を重視して、当時の価値観・風景に基づき、その中の再現された、コミックスや小説、資料の中の「メイドさん」です。
 「その花が咲いた場所、時代を尊重・再現し、土に根付いたそのままに愛する」(ように努力する)という、日本では少ない形ですし、あまり土壌が適していないかもしれません。
 『エマ』『アンダーザロース』は当時の生活風景や登場人物、価値観を再現して、ストーリーを構築しています。
 これらの立場の「メイドさん」は、展開される世界・生活の中に溶け込んでいます。(『エマ』の場合は、メイドさんの為に世界そのものが再現されましたが)
 花が育った風景を含めて愛する、それが三番目の立場です。例えそれが、温室に再現された、人工の美であっても、花は土に根ざし、生きています。

最後に

 結局は「メイドさんという花」が好きで、その好みや楽しみ方が違う、それだけの相違しかなく、それぞれには、上下も何もありません。
 こうした多種多様な楽しみ方が存在すること自体は、ジャンルとして望ましいことではないでしょうか。
 久我は十九世紀イギリスをモデルにした屋敷を舞台とした同人誌を制作して(三番目の立場)、実際のメイドさんが何をしたのか、どんな環境で働いたのかを調べています。「屋敷はメイドさんが最も映える場所」で、「風景に溶け込んで」いるその姿に魅力を感じるからです。それは、感じ方のひとつに過ぎませんが、「花」だけではなく、「花が育った世界」にも、多くの方に目を向けていただければ、そんなふうに願っています。

 こうした考えを書く機会を下さったきっしーさんに感謝しつつ、百花繚乱の華やかなメイドさんたちのイラストに囲まれながら、本コラムが彩りのひとつになることを願って。

久我 真樹(SPQR)