2018年1月から放送しているアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、第一次世界大戦後のような背景世界とヨーロッパのドレス的な衣装造形ということで、クラシックなメイドイメージを愛好する私にとって、期待する作品でした(原作は今月中に読みます)。オープニングではタイタニック号的な豪華客船も描かれており、『ダウントン・アビー』と重なる時代に似ている、というのが分かりやすいかもしれません(あくまでも物語の世界であり、現実世界との時代考証の意図ありません。念のため)。
※第5話のネタバレを含みますので、ご注意ください。
メイドと執事(+ナース)の登場
第1話”「愛してる」と自動手記人形”で、早速、「メイドを描く作品」であると分かりました。身寄りがない主人公のヴァオイレットが預けられた「エヴァーガーデン家」には執事とメイドが働いていたからです。エヴァーガーデン家は上流階級には見えず、その家も都市にある家であり、屋敷というふうには見えません。しかし、だからこそ、「きちんとした家で、執事とメイドが雇用されている世界観である」ということが証明されたのです。
※第1話8:05あたりからの画像。こちらの画像では、女主人自らが出迎えて、奥に執事とメイドが控えています。本来ならば客人は執事が出迎えるべきものですが、今回は「養女として、エヴァーガーデン姓」を名乗らせるので、家族として迎えたいという女主人の心の温かさの表現となるでしょう。この後、別の構図でも使用人は登場します。
このほかに、メイド服と類似したキャップ、エプロンドレスを着用したナースも登場します。負傷したヴァイオレットが長期入院していた療養所で働き、ヴァイオレットを看護していました。このエプロンは背中を覆う形で、いわゆる貫頭衣に似たタイプです。1930年代を舞台としたドラマ『名探偵ポワロ』でよく見るデザインのエプロンですが、ドレスデザインでスカートは広がり、袖もレッグオブマトンスリーブ的になっており、私が好みな時代のデザインをベースとしています。
「王宮」が舞台で姫も侍女もメイドも執事も出てくる第5話
第5話”「人を結ぶ手紙を書くのか?」”では王族が描かれるに至り、待ち望んでいたシーンが展開されました。しかも、私の想像を超えてしっかりと「主従関係の絆」を描く形で。
依頼主の気持ちを汲み取りながら相手に伝わる文章を作り、タイプライターで代筆する自動手記人形サービスを提供するため、ヴァイオレットは ドロッセル王国の王宮へと赴任します。依頼主は年若い王女シャルロッテ。王女はフリューゲル王国の王子ダミアンとの婚姻を行うため、「公開恋文」の代筆が仕事内容でした。「公開恋文」は、「いかに美しい文章で恋を綴るか、人々にふたりの婚姻は素晴らしいものだと思わせられるのか」という役目を帯びるもので、双方の国民がその内容を知ることになります。
この「お姫様」と「王子」の公開恋文の設定と、そこからお互いの気持ちを素直に語っていく展開はドラマチックで美しいものであり、それは是非、試聴いただきたい内容となっています。
ヴァイオレットを出迎えたのは、このお姫様の保護者として登場する宮廷女官のアルベルタです。姫の代理人として王宮の家政を統括しているように見える宮廷女官(Lady-in-waiting、https://en.wikipedia.org/wiki/Lady-in-waiting、身分ある人が、より身分ある人に仕える)で、姫が生まれる前から王宮で働き、姫が生まれた時にも世話をした立場であり、亡くなったと思える「姫の母」に変わる存在でもありました。
※「アルベルタがメイドかどうか」という問いかけがありました。確かに、いわゆる「domectic servant」というよりも、姫に近い身分の立場の女性で、lady-in-waitingや、私的なlady’s companionが近しいと思います。この宮廷の王女に仕える人々(宮廷女官と家事使用人)のシステムも知りたいところです。
アルベルタは謁見の間を前に立ち、姫に対してヴァイオレットを紹介するも返事はなく、中に入ると誰もおらず、「執事」(侍従長?)が目をそらすシーンがあるなど、立場的にも執事より強そうです。幼い王女の「乳母」が、王女の成長に伴い、実力者としてそのまま話し相手的なlady’s companionとして留まることは起こり得るものです。余談ですが、今の英国のエリザベス女王が王女時代に仕えた執事アーネスト・キングは、彼女の侍女(dresser)との闘争に負けて、追い出される羽目に陥ったと記憶しています。
起きた姫は、さっそく、メイドたちによって着替えをさせられます。総勢5名ものメイドが、姿を見せるのです。そのメイド服は、ヴィクトリア朝後期からエドワード朝を経て、第一次世界大戦に前後する時代の「フリルとレースで装飾されたエプロンドレス」に、フリルのヘッドドレスです。『名探偵ポワロ』の時代や、1920年代には見られ始めていた「肩紐のないエプロンで、コロネット・キャップのメイド服」ではありません。
色はピンクです。
そして、この「公開恋文」を、国民の前で読み上げる役目を担わされたメイドさんが、恥じらいながら恋文を読むシーンも必見です。
また、「背景としてのメイド描写」や「使用人描写」も欠かせません。執事がさりげなく姫の出入りのドアを開けたり、姫が廊下を歩いている時、メイドが脇に寄っていたりと。
「お嬢様とメイド」を描く最高の作品のひとつとして
閑話休題。私が今回、このテキストを書こうと思ったのは、その素晴らしい展開の背景にある、「お姫様」と「侍女」の主従関係が卓越しており、記録すべきと思ったからです。
「お嬢様とメイド」という作品での自分史上最高作品は、サラ・ウォーターズによる『荊の城』(小説とドラマ両方)でした。『荊の城』が卓越していたのは、「お嬢様を騙すために、スリの少女が侍女として近くで仕える」ことになりながらも、「仕える役割を演じるうちにお嬢様観点で物を考える使用人になりきってしまい」、その上で強い愛情を持つに至ってしまう点です。
これに対して、姫と年齢が離れたアルベルタは、「母のような存在」で「すべてを知る」存在でした。
たとえば、王子からの恋文を受け取った王女が私室にこもった際に、「恥じらっているのですか?」と問うヴァイオレットに対して、「思い通りに行かない時に見せる泣き顔です」と応じ、「姫のことはお妃様のお腹の中にいる時から存じています」と語ります。そして、引き込もる姫に対して、しいて厳しい姿勢を見せます。
「フリューゲルに嫁がれれば、このアルベルタはいないのですよ」
「……どうしてそんなことを言うの?」
「私は宮廷女官です。私(わたくし)の身は王宮のものであって、シャルロッテ様のものではないのです」
「お前は私(わたくし)のものよ! お前が、母上の腹から私を取り上げて、お前が、私を育てたのよ!」
続く姫の台詞は、深く印象に残ります。
「少なくとも私は、お前のものだわ」
この台詞は、私がこれまで見たことのない描写でした。アルベルタは一緒に行くことができない立場のため、姫に自立してほしい。強くなって欲しいと、決意を胸にしているのでしょう。親のような立場として。一方、姫は、母代わりと言える存在からのその言葉に傷つきます。主従関係の「主人」となるシャルロッテ姫が、「従者」のアルベルタを「私のもの」というのはわかります。しかし、同時に、「私はおまえのものだわ」とは、主従関係を超える絆を姫が感じていることが示されています。
そして、ここからがさらに非凡なのは、感情を損ねた姫が「出て行って!」と命じるのに対して、アルベルタは、こう返します。
「いいえ、お側におります」
突き放すようでいて、甘やかすようでいて、厳しくあるようで、ただ側にいようとする心根だけは変わらず。
これらを踏まえた上で、最後に姫が決断した結果に迎える日の、姫と侍女の別離のシーンは必見です。
感情表現の細やかさ
細かく作品を見直していると、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の「言葉にならない感情描写」が、とても細かく描きこまれている事に気づきます。
たとえば、謁見の間の扉の前で侍女アルベルタが、王女の呼びかけを目を閉じて待つシーン。この時、姫の反応がないので、アルベルタがイラついてか、目元が少しだけ動いています。
謁見の間の話で言えば、返事がないので扉から入った先、執事と思しき男性はアルベルタと目があうと、目線をそらします。そこから全てを察したアルベルタが少し表情を歪めて、奥の間の寝室に入り込む、という十秒ぐらいの時間での細かな情報のやりとり。台詞のない演技です。
別のシーンでも、感情を、瞳の光の揺らぎだけで表現していたり、完全に止めていたり、人間の表情を使う形で、人と人との間の機微を捉えようと、丁寧に仕上げています。全体に顔のアップの構図が印象的に使われて、言葉をテーマにした作品だからこそ、言葉にならない人の「心」を表現するというのでしょうか。
京アニとメイド描写と、その進化
最後に、京アニのメイド表現の進化について。私は『日本のメイドカルチャー史』下巻で、京アニのメイド描写を考察しました。そこでは、「女の子の可愛らしさを追求する」京アニの表現の中で、ヒロインが「メイド服を着る」機会、「メイド回」があったことを抽出しました。
その中で「主従関係を伴う本当のメイド」は、『小林さんちのメイドラゴン』が最初に描かれたように思えます。そこからさらに踏み込んで、「母の代わりとして、自分のものであり、自分はそのメイドのものである」という関係性が成立する「主従関係」を描いた今回の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、「京アニにおけるメイド描写」の点でも、新たな境地を開いたと言えるでしょう。
以下、自分の本『日本のメイドカルチャー史』下巻pp.273-274から、以下、引用します。
『涼宮ハルヒの憂鬱』を出版した角川書店と京都アニメーションの組み合わせによる『らき☆すた』(美水かがみ、角川書店、2005年)の2007年放映のアニメでは、オタク描写に注目が集まりました。作品内で「アニメイト」やコミケといったオタクにとってなじみがある場所が描かれただけではなく、ヒロイン・泉こなたのアルバイト先はコスプレ喫茶で、そこで涼宮ハルヒのコスプレをしました。横には朝比奈みくるのファミレス制服を着たウェイトレスもいました(第16話「リング」)。
『けいおん!』(かきふらい、芳文社、2007年)のアニメ化(2009年)ではメインキャラクターの秋山澪が他のキャラクターにメイド姿をイメージされる(『けいおん!』第4話「合宿!」)、担任教師が用意する軽音楽部の舞台衣装にメイド服があるなど、メイド服描写をしました。
2010年放映のセカンドシーズン『けいおん!!』では雨で濡れた制服の着替えとしてメイド服を着る(第6話「梅雨!」)、本格的喫茶店のアルバイトでメイド服を着たウェイトレスになる(第18話「主役!」)など、まさに「メイド回」と呼べる展開が盛り込まれました。
ヒロインをかわいく見せる表現としての「メイド服」を、京都アニメーション作品は取り入れ続けます。小説『氷菓』(米澤穂信、角川書店、2001年)の2012年アニメ化作品では、ヒロインの千反田えるが文化祭でメイド服を着ました(第12話「限りなく積まれた例のアレ」)。小説『中二病でも恋がしたい』(虎虎、京都アニメーション、2011年)の2012年アニメ第1期では第10話の文化祭で男子生徒がメイド服を、2014年第2期第8話で丹生谷森夏が「アンナミラーズ」風の制服を着ました。
2013年アニメ放送の小説『境界の彼方』(鳥居なごむ、京都アニメーション、2012年)も、第5話で主役の栗山未来がアルバイトの一環として写真のモデルを務める際、メイド服を着せられます。小説『無彩限のファントム・ワールド』(秦野総一郎、京都アニメーション、2013年)の2016年のアニメでは、オープニングでアニメオリジナルキャラクター・ルルがメイド服コスプレをしました。
さらに、小説『響け!ユーフォニアム』(武田綾乃、宝島社、2013年)のアニメ2期で2016年放送『響け!ユーフォニアム2』第6話の文化祭で、先輩たちのクラスがメイド喫茶を行いました。主人公・黄前久美子のクラスでも「Cafe inWonderland」と名付けた喫茶店を実施し、アリス風のメイド服に身を包みました。劇中でも、久美子は「今さらメイド喫茶なんて、流行んないよね」とも言いました。文化祭のメイド喫茶は、原作小説にはありません。
そして極め付けが、「人外メイド」で紹介した2017年アニメ化作品『小林さんちのメイドラゴン』(クール教信者、双葉社、2014年)で、京アニがメイドが主役の作品を扱ったのは、初めてのことです。
アニメ版オリジナルの描写として、第3話でメイドマニアの小林さんの本棚には、『英国メイドの世界と日常』という本がありました。これは、私・久我真樹の著書『英国メイドの世界』と、『エマ』で時代考証をする村上リコ氏の『英国メイドの日常』(河出書房新社、2012年)をもじったものです。世界の狭さを感じ入る次第ですし、京アニのメイドへのこだわりを垣間見る思いです。
なお、京アニと接点がある方で、私がメイドブーム調査の時に集めていた資料で「メイド」について言及していたのは、志茂文彦氏です。なぜかメイドが大勢登場するロボットアニメ(スタッフが全員メイド)『超重神グラヴィオン』(2002年)の設定集、『超重神グラヴィオン グラヴィトンアートワークス』(新紀元社、2009年)のインタビューで、志茂文彦氏は次のように答えます。
こういう事をいうと人格を疑われるかもしれませんが、メイドさんをいっぱい出そうと(笑)。その方が賑やかになって楽しいだろうなと思ったんです。
(中略)当時はまだメイドブームになる前で、今にして思うとちょっと早すぎたのかもしれません。
『超重神グラヴィオン グラヴィトンアートワークス』(新紀元社、2009年)、p.142
この情報は『日本のメイドカルチャー史』では記載していません。参加作品等を調査する時間が不足していたためと、氏が参加していない作品でも安定的にメイド描写があるように思えたからです。
京アニでメイド表現にこだわっている方にお話をうかがいたいです。
京アニに、日本のメイド表現を詰め込んだ形で『日本のメイドカルチャー史』CMアニメを作って欲しいと思いますし、いつか依頼してみたいです。