制作日記


2002/05/26(日)

コミケの公式サイトで当落結果が調べられますが、落ちていました。今回は完成が微妙な感じでしたので(当選が決まった後のダッシュ力には自信ありますが)、よかったかなと思います。資料が豊富にあるので、それを消化する時間が出来たのは嬉しいです。最近、忙しかったので…


2002/05/23(木)

久々に読書をちゃんとしています。まず、有名どころではブロンテ姉妹の作品を読もうと、古本屋で『ジェーン・エア』(上下)と『嵐ヶ丘』を買いました。他にもお金持ち貴族の話として、図書館でロスチャイルド家の新書を読んだ記憶があり、その本を見つけたので、買いました。

そしてもうひとつ、『失われたときを求めて』を久しぶりに読み始めています。全部で10巻の大長編ですが、日本訳のリズムが好きで、ストーリー云々以前に、さらりと読みやすい文章です。5巻まで読み続けたものの、家の中で6巻を見失い、もう1度買うのもなんなので見つかるまで待ったのですが、つい先日、発掘に成功してあっさりと読破、今日は全部読もうと、残り4冊を買いました。プルーストというと遠い『文学』といったイメージがありますが、意外とメインテーマのひとつが同性愛です。

ストーリーではなく、文章が好きな作家はもうひとり、以前も書きました古川日出男です。新作とは別の既刊『13』を読みましたが、相変わらず色彩描写がすさまじく、「こんな言葉があるんだ」という感動があり、言葉の神経(あるのでしたら)が刺激されます。これも、心地いい音楽に似た響きと言える文章です。少し前に紹介した『アラビアの夜の種族』は推理作家協会の賞を貰ったそうです。

さて、2002/05/25にコミケの当落通知が発送されるそうです。今回は冬に出られなかったので、その時に作った本が中心になります。現在進行形の新作は微妙なところですが、イラストをお願いしようにもなかなかイメージがわかず、困っています。

参考になるだろうと、DVD『ハリー・ポッター』を見ました。映画館でも見たのですが、相変わらずセットといいますか、イギリスの屋敷や建物は外観・内観ともに美しいですね。

さて、『The Rise〜』は読み進んでいます。電車の中で読んでも、かなりの分量を進んでおり、文章の書き方や単語の選択が違うから、ここまで読むスピードが変わるのではとの仮説を立証するような結果です。あっさりと読み進み(写真と図が多いから?)、今は50ページまで読了です。

大きく構成が分かれていますが、まず『Getting a place』で使用人としての地位や技術をどのように得ていくか、それについて系統立てて書かれています。次に『女性使用人』、『男性使用人』『階段下の暮し(主人階級との対比でそう呼ばれます)』『主人と使用人の関係』などに分類されており、流れのある読みやすさです。前の『The Country House Servants』は序盤はいい流れだったのですが、後半は筆者の言いたいこと(LaundryMaid)に終始して、読みにくかったのと対照的です。

○メモ〜久々○

使用人としての技術は近所の家や母の手伝い(パートタイム)をして身につけていき、お金が貯まったら制服を買い、フルタイムの仕事につくのが一般的なようです。「アルバイト(非正社員)をしてスーツを買えるようになったら、スーツで勤める仕事(正社員)につく」というニュアンスです。

服を買ってくれる主人もいますが、長期に渡って勤めない人に渡すのは無駄ですから、ある記念日に送られたり、あとは統一感が必要で人目につく職種の場合に限られるのではないでしょうか。親が積み立てをしておく、というのもあります。いざ就職活動となるとスーツやネクタイ、シャツベルト、靴に鞄と揃えなければなりませんし、冬にまで長引けばコートまで必要ですから、なかなか最初は物入りで、時代が変わってもその辺は似ています。

家以外でも技術を学ぶ場所はありました。使用人としての仕事が数多く存在するから、という理由だけではなく、働くにはそこで学んだ方がいい事情もあったのです。家事を教えてくれる学校(女学校の科目のひとつとして、また孤児院やその他の慈善家による自立の為の技術養成学校)では自立の為の技術を養う姿が描かれています。

工場などでの職場が得られる時代(一般に大戦による男の労働力不足が生じ、女性の働く場が増え、動きやすいようにと服装の解放も進んだといわれています)までは、当時の女性の働き場所は極めて限られていました。教育を受けられ、人に教えるだけの最低限の知識を身につけられれば『女家庭教師』職(『ジェーン・エア』や『若草物語』)がありますが、この他には物を売る仕事や農村での労働力(『テス』)

使用人分野も過去には男性使用人が数の上で優位に立っていましたが、ヴィクトリア時代の頃には、これも戦争などの影響ですが、戦費調達・贅沢への制限などから、男性使用人に対して税金が課せられるようになりました。この結果、男性使用人を雇うことは非常に大きな負担となり、女性の進出が進みました。

また、産業革命による富裕層の増大で使用人を大勢は抱えられないものの、数名に家事を任せられる経済力を身につけた中産階級も増えており(使用人として雇われる階級により近いポジション)、この結果、市場は拡大しました。

ようやく技術に戻りますが、『使用人として働く』として自分を考えたとき、どの程度、働く家について知っているでしょうか。身近な例ですが、パソコンを使う職場に就職するには、最低限、パソコンの操作・名称(キーボード、マウス、ディスプレイ、ソフト)などを知らなければなりません。

同様に、使用人として働く場合は、その勤め先の家にある物を知らなければなりませんが、使用人として働く人は、一般に勤め先の生活レベル(物の多さや求められる仕事内容の広さ)が異なります。そこで技術を教える専門学校が、「IT]の為の専門学校よろしく、登場するのです。知らない人よりは、知っている人のほうがいいですし、働く人も知っていた方が入ってからの苦労が減ります。

「言葉や道具の名前を覚えるために教育が必要」とは、面白い視点です。学校が義務教育ではない時代、まして広告や雑誌や本などが簡単に入手できない家の子供たちは、文字や、働き先で使う道具や用語について、知りません。家の掃除を家の中でしている分にはいいですが、勤め先では知らないものがいっぱいです。なのでそういう知識や使い方を教える必要があった、というのです。

どれだけ役に立ったかは詳しく記されていませんが、この場合、大学名が(今はそうではないかもしれませんが)かつては企業にとって信用できる物差しであったように、学校を信用することでその卒業生を雇用できた点と、重なる部分が多いでしょう。使用人の場合はなおさら、家に直接上がりこみますので、信用が保障されている方が安心です。「誰々さんの紹介ならば〜」というような、効果も発揮したと思います。

同人誌用の小説で主人公のジョアンが引き取られた公爵家の設定を考えていますが、使用人についてはあまり考えていませんでした。技術を身につけさせる学校を運営した方が、よりいいような気もしています。その学校の優秀な生徒を就職させれば、ゼロから人を探すよりも楽ですし、技術を覚えさせることで、社会に人材を供給するのですから。

ただ、地元の多くの人を雇う意味が雇用安定にあるので、システム化しすぎると人がいらなくなってしまうような、ということで、教育係として新人に足を引っ張られてもシステムが機能する余裕(社員を育ててくれる昔の日本の大企業ですね)がある感じということで、になります。といいますか、失敗してくれる使用人がいないと話にならないんですね。

さて、技術専門学校のデメリットといいますか、出身者の欠点として、物をぞんざいに扱う傾向があると言います。学校で、これから働く場所の知識や技術を得るとしても、やはり限界はあります。貴重品などあるはずもありませんが、屋敷が大きければ当然、高価で繊細な品物があるわけで、絵画や絨毯をそれまでの感覚で、普通に雑巾やモップでこすったり拭いたりして、駄目にしてしまうこともしばしばあったようです。

駄目にしてしまうのは何もその出身者に限りません。『The Country House Servants』でもHousemaidの項目で、同様に貴重な品物を扱わせないようにするとの文章と、その被害体験などがありました。これらは丁寧に扱う技能を持った者に任せて、手を触れさせないようにとの指示もあります。そうなるとご主人の高価な東洋の壷を割ったりすることも無くなるわけです。

学校や職場で覚えるべきものにはマナーも含まれています。学校では上級生に、職場では上級使用人に給仕をして、技術や礼法を学んで行きます。使用人は当然、主人と食事の席を同じくするはずがなく、『使用人ホール』と呼ばれる、使用人たちの集会場(映画『いつか晴れた日に』で主人公の母が屋敷を手放すとき、使用人たちにその旨を告げる場所、或いは映画『秘密の花園』で使用人たちが集まり、談話しているところ)で、食事を済ませます。

この食事シーンそのものを再現したのは、映画『日の名残』です。しかし執事が主人公の物語なので、もしかすると『執事のホール』かもしれません。上級使用人はまるで主人のように、さらに下位の使用人の給仕を受けて、食事をします。ここで執事見習いの少年が技術を磨きますが、この席に参加できるのは上級に限られており、こうした構図に、主人たち階級の模倣があるのも否定できません。

・就職方法

広告への応募から近所の人の推薦、地元有力者による口利き、そして一般にも知られている「市」での契約など、多岐に及んでいます。地元有力者は多くの人を雇う立場にあり、社会的責任や自身の名声への欲、その他、よく思われたいとの意識から、そうした人を紹介、斡旋をしています。

この場合の斡旋先は、彼らにとって近づきたい、より上流の階級というケースが考えられます。上流の人々は自分から探さずに、信用できそうな人に依頼し、この場合の有力者は、その「需要」に応えるべく、人選を行い、片方で仕事を欲する使用人と、片方で使用人を求める家庭の需要と供給の橋渡しをしていました。

職を得る場合の多そうなのが、近所の人からの口利きです。今ほど労働に関する情報が共有されていないのですから、急に人がほしくなった場合、近場で探すしかありません。こうした『欠員補充』はその欠員が、家事に支障をきたす規模の家庭なので、仕事の内容も『メイドオブオールワーク』の可能性が極めて高いでしょう。

『市』は使用人に限らず、誰かを雇いたい人と、雇われたい人とが出会う場所です。お祭りに似た雰囲気で、各労働者は自分たちの仕事の特徴を示すもの(メイドは箒、コックはおたま?など)を持ち、雇用する側の人と話をして、契約を結びます。お祭り騒ぎなのでお酒を飲んで暴れる人も多いそうですが、男女が一時に大勢集まるので、出会いの場としての役割もあったのです。

さて、雇う場合の基準はその屋敷次第ですが、下級使用人は統括する責任者(男性は執事:スチュワード、もしくはバトラー、女性はハウスキーパー)が面接しました。主人からの注文が出ることもあり、地元の人しか雇わない大地主もいれば、逆に逃げ出せないように(またプライバシーが簡単に近所へ漏れないように)、遠くの地方出身者を雇うケースもあり、一概に言えません。

この他の就職方法ですが、最近読んだ『ジェーン・エア』で主人公は、職を求めに広告を出します。この広告への反響は一通限りですが、彼女はそこでの勤めを決めます。この手紙を出した女性は実際のところ主人階級ではなく、ハウスキーパーだったのですが、ほとんどの場合は主人階級の裁量で、家庭教師は決まります。

こうした過去の家庭教師と生徒の関係については、ロシアのトルストイやドストエフスキーなど、いろいろな人が書いていると思いますので、そちらの「鮮明な描写」を読むことをお勧めします。

最後に、「紹介状」ですが、あまり詳しい説明はありませんし、これから調べる範囲です。少し時代が後になりますがクリスティの小説『名探偵ポワロ』で、金持ちの宝飾品を盗むため、小間使いとして入り込んだ女性の話があります。この女性はさる貴族のところで働いており、その紹介状を持って、この職についたと説明されていました。勿論偽造でしたが、前の職場でどのように働いていたのか、それを知ることは重要です。

『Getting a place』でも、面接のときの内容が書かれており、「どうして辞めたのか?」と聞くようにと、まるで今の時代の転職での面接のように、重さがあります。さらに重要な要素として、「結婚していない」ことが条件になっているケースも多かったと書いてあります。やはり主人に忠誠を尽くし、他の物事に心を奪われない為にも、なるべく結婚はしていない方が望ましいのでしょう。実在の執事で職場結婚した人の手記が別の本で紹介されていますが、その後も勤め続けたのでしょうか?

紹介状の話ではないのですが、『台所の文化史』ではかつて働いていたところに問い合わせをした女主人と、その元の勤め先との激しい往復書簡についてふれています。辞めるような人間にろくな人はいないし、そんなのを雇用するようなあなたはどうかしているし、私が答えるようなことじゃないと、最後の方はハウスキーパーが代理で返事をしています。

・今回の小説

最年少のエリザベスを皿洗いとして雇用していますが、それは皿洗いが「最も厳しい仕事(=逃げ出さないかの確認)」「技術が必要無い(洗うだけ)」「作業遅延が致命的にならない(料理が遅いのは致命的だが、皿洗いは「片付け」なので遅くても問題になりにくい。大屋敷なので皿が足りなくなる可能性はほとんど無い)」職種だからです。

皿を洗いながら、他の雑用を手伝い、言葉や流れを覚えていく…と書くと、なかなかスタート地点としては間違っていないかなと、思います。若い子供が他につく仕事としては『ナースメイド』があげられますが、この仕事はいろいろと落差があり、その辺りは本で書こうと思います。

うわぁ…長いですね。


2002/05/10(金)

転職活動をしていて、少し時間が無かったので、久々の更新です。毎年受験しているんですが、なかなか結果が…今年は今までで一番惜しかったんですが、まぁ諦めず、頑張ります。

ようやく『The country House Servant』を読み終わりました。前半は良かったものの、後半はかなり厳しい展開でした。最後の章でようやくわかりやすい部分も出てきましたが、人には薦められません。

そこでようやく、『The Rise and Fall of the Victrian Servant』に突入です。この本は前にも書きましたが、日本語の良書『路地裏の大英帝国』でも紹介された本です。今は最初の項で使用人の歴史と流れ、社会背景、20世紀に入ってからと、細かい話をしています。文章が巧いんでしょうね、英語は全部同じに見えていましたが、前の本よりも明らかに早く、短い時間で読めます。

次の章が、使用人はどのように職場にてその地位を得るかなどをまとめた「getting a place」です。非常に整理されて、読みやすい順序立てた内容です。資料も写真も豊富で、やはりこの一冊を買えば、英語の本は無理に買う必要も無いと思います。

ところで、ここ数日、ドラマの『オリヴァ・ツゥィスト』をやっていました。ディケンズの文章は岩波文庫で何冊か読みました。どれも古色蒼然、翻訳が読みにくくて退屈で冗長な感じでしたが、今回のドラマは、前に見た『レ・ミゼラブル』同様、かなりいい映像と屋敷を使っていて、メイドさんも従僕も多く出てきて、素晴らしく綺麗でした。

あと、今日、レンタルビデオ屋に行きましたら、前に紹介した『レ・ミゼラブル』が置いてありました。もしも近所で見つけましたら、是非どうぞ。少し前に映画で見た『金色の嘘』(『金色の杯』)も、もうレンタルで出ています。単館上映はそんなもんなんですかね? 明日は久々に、映画に行きます。前売りを買ったまま行くのが億劫だった、『エトワール』です。劇場で見たCMが良かったので。

GWの休み中にあったイベントで、絵を描いてくれている蓮深さんとご友人(コミケのときと同じ方です)がまた委託販売をしてくださいました。ありがとうございます。


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